天安門事件以降の中国における愛国主義教育
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「南京事件論争史」の記事における「天安門事件以降の中国における愛国主義教育」の解説
総書記 1989年の天安門事件では共産党の正当性が失墜し、鄧小平が学生への教育が間違っていたと述べて、愛国主義教育が中国を統一するための新しいイデオロギー上の道具となった。 また、1990年9月には自民党(代表金丸信)・社会党(代表田邊誠)・朝鮮労働党の三党共同宣言で日本統治時代の朝鮮の36年間および戦後45年間、日本が「朝鮮人民に蒙らせた損失」に対して朝鮮人民共和国への謝罪と補償が宣言された。 1990年10月、雑誌『PLAYBOY』(英語版10月号、日本語版11月号)で石原慎太郎衆院議員が「南京大虐殺は中国の作り話」と発言。これに対して本多勝一が質問状を送付すると、石原は通訳を通してのもので食い違いがあったとして、他の点は文藝春秋の論文 で回答すると述べたが、本多はこの論文は「異様」であると批判した。 1990年11月には華僑を対象とする中国海外交流協会(China Overseas Exchanges Association)が北京で設立し、国務院僑務弁公室の寥暉と林水龍が副会長などに就任し、世界の華僑の団結を増進するとした。江崎道朗は、天安門事件によって非難されていた中国がこの協会を通じて国際非難の矛先を日本に向けるためにプロパガンダ工作を進めたとしている。1991年8月、南京受難連合はジョン・マギーのフィルムを発見したと公表した。 満州事変60周年の1991年9月18日には「九・一八事変記念館」が建設され、中国政府は中学校で歴史教育を強化すると宣言し、この日を「国恥記念日」と定めた、さらに「勿忘国恥(国の恥辱を忘れるな)、強我国防」をスローガンとして愛国主義教育運動を推進していった。9月、中国共産党中央軍事委員会副主席で鄧小平の側近といわれた劉華清に、三岡徤次郎中国政経懇談会会長が「なぜ事実でもない虐殺の記念館を建てるのか」と質問すると、劉華清は「中国が解放される前の時代を若い人へ知らせるために行なっている。虐殺記念館は中国のなかでのことだ」と答え、30万の数字について尋ねると回答しなかった。 1991年11月には中国の中央テレビが森村誠一『悪魔の飽食』を原作として731部隊を告発するドラマ「荒原の砦七三一」を放映した。同年に日本でも日本の軍国主義を非難することで近隣諸国との和解を目指して大阪国際平和センター(ピースおおさか)が開館した。1992年5月12日には江沢民総書記が中国共産党と人民解放軍に愛着を持てるように国防教育を強化すると宣言した。 1993年8月、中国政府の対日シンクタンクは中国政府に、日本は常任理事国入りするなど政治大国化を望んでいるので中国やアジア諸国が日本に謝罪を求めるのに適切な時期であると報告した。
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