大阪馬車鉄道から浪速電車軌道へとは? わかりやすく解説

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大阪馬車鉄道から浪速電車軌道へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:21 UTC 版)

阪堺電気軌道」の記事における「大阪馬車鉄道から浪速電車軌道へ」の解説

1895年明治28年10月5日 利兵衛ほか26名が発起人となり、初代大阪鉄道天王寺停車場現在のJR西日本天王寺駅)から住吉大社天下茶屋遊園現在の大阪市阿倍野区橋本町付近にかつて存在した遊園地)への旅客誘引主たる目的に、大阪府東成郡天王寺村大字天王寺長者ヶ崎現在の大阪市阿倍野区松崎町一丁目付近) - 大阪府東成郡天王寺村大字阿部野字南阪田現在の大阪市阿倍野区晴明通付近) - 大阪府西成郡勝間村現在の大阪市西成区玉出東一丁目付近)間に馬車鉄道敷設出願1896年明治29年8月16日 利兵衛ほか26名が発起人となり、大阪府東成郡天王寺村大字阿部野字南阪田 - 大阪府東成郡住吉村現在の大阪市住吉区住吉2丁目付近)間および大阪府東成郡天王寺村大字天王寺長者ヶ崎 - 大阪府東成郡天王寺村字六体(現在の大阪市天王寺区四天王寺一丁目付近)間の馬車鉄道延長敷設出願9月15日 利兵衛らに大阪府東成郡天王寺村大字天王寺長者ヶ崎 - 大阪府西成郡勝間村間の敷設特許状下付される。 1897年明治30年5月26日 大阪馬車鉄道株式会社設立され初代取締役社長土居通夫が、役員出水弥太郎はじめとする大阪河内有力者大地主らが就任資本金5万円。現在の阪堺電気軌道上町線および後の大阪市電天王寺阿倍野線1968年12月18日廃止)の起源10月26日 臨時株主総会において、動力馬力から電気変更することが決議される。 (この間政府電気鉄道変更願を出願政府からの「工事着手延長出願ノ件詮議及ビ難シ」の指令を受け、やむなく電化変更願を取り下げる1898年明治31年3月20日 馬車鉄道起工式を行う。 (この間路線電化から路線拡充方針転換し、以下の3線の敷設出願。*1第一東西線 大阪市東区平野町現在の大阪市中央区平野町) - 大阪市南区難波現在の大阪市中央区難波) - 大阪市西区八幡屋新田現在の大阪市港区八幡屋付近)間3.6マイル(5.79 km) 第一東西線 大阪市東区上本町二丁目現在の大阪市中央区上本町二丁目) - 大阪市西区松島花園町現在の大阪市西区 九条新道交差点付近)間2.5マイル(4.02 km) 南北線 大阪市南区難波 - 大阪市南区湊町現在の大阪市浪速区湊町一丁目) - 北区梅田停車場現在の大阪駅)間3マイル(4.83 km) 1900年明治33年9月20日 大阪馬車鉄道天王寺南詰(現在の天王寺駅前交差点付近) - 八弘社*2(現在の阿倍野) - 阿倍野現在の東天下茶屋)間1.05マイル(1.7 km)を開業旅客運賃天王寺南詰 - 八弘社間および八弘社 - 阿倍野間をそれぞれ1区間とし、1区2銭、2区3銭(開業後しばらくは半額)とする。旅客営業時間午前6時から午後8時までとする。 11月29日 天下茶屋 - 上住吉現在の神ノ木)間延伸開業。 (この間天王寺南詰 - 天王寺*3(現在の大阪市天王寺区四天王寺交差点にあった駅)間延伸開業1902年明治35年12月27日 上住吉 - 下住吉現在の住吉)間延伸開業1903年明治36年天王寺南詰 - 阿倍野間の開業からわずか1か月後の1900年10月26日開業した南海鉄道天王寺支線天王寺 - 天下茶屋間2.4 km1993年4月1日全線廃止)による影響拡大から明治36年上半期決算初め赤字転落以降明治39年下半期決算まで8期連続赤字となる。 (この間阿倍野 - 勝間村天下茶屋)間の支線敷設出願取り下げる1906年明治39年11月1日 天王寺南詰 - 下住吉間の電化内務大臣申請1907年明治40年2月 天王寺 - 下住吉間の電化内務大臣から認可される3月29日 社名大阪電車鉄道株会社変更し資本金50万円増額浅野総一郎前島密株主となり、浅野総一郎がその筆頭株主となる。 10月29日 社名浪速電車軌道株式会社変更11月 大阪市軌道および車両共用契約締結1908年明治41年1月31日 天王寺 - 下住吉間の馬車鉄道による旅客営業廃止し路線1067mmから1435mmへの改軌および電化複線化工事着手1909年明治42年3月 電動客車20両を新造。 (この間)下住吉から大阪府堺市方面への路線の延伸出願し南海鉄道慌てさせる。*4 南海鉄道との合併交渉開始阪堺鉄道南海鉄道前身)の創業者藤田伝三郎仲介南海鉄道との合併交渉成立。 3線とも幻に終わった未成線当時大阪一と云われた民営火葬施設(後の大阪市営南斎場1952年4月に名称を大阪市瓜破斎場変更し大阪市東住吉区瓜破東現在の大阪市平野区瓜破東〉に移転)、および民営霊園施設現在の大阪市営南霊園)を運営していた企業名でもある。 数多く文献等には、「天王寺西門前」と記されているが、当時地形図には「てんのうじ」と記されている。 それまで非電化であった南海鉄道路線電化されるに至った原因

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