大阪電灯解体
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1889年(明治22年)5月、大阪市西区西道頓堀町に建設された発電所から電気の供給が開始され、大阪市においても電気供給事業が開業した。事業主体は大阪市の有力実業家らを発起人として1888年(明治21年)に設立された大阪電灯株式会社である。同社は開業後順次電灯・電力(動力用電力)双方について供給を拡大するとともに、大阪市周辺の東成郡・西成郡の町村へも供給区域を拡張。1904年(明治37年)には堺電灯(1894年6月設立)から事業を譲り受けて堺市方面へも進出した。 こうして大規模化した大阪電灯だが、1906年(明治39年)に大阪市と締結した報償契約により経営に強い制約を受けた。この契約に基づき、1922年(大正11年)より市には大阪電灯の事業を市営化できる権利が発生。市では早速同年1月より買収交渉に入った。1年を超える交渉の結果、大阪市内と東成郡・西成郡内における事業を大阪市が買収するという合意が成立、1923年(大正12年)10月市営化が実施され同地の事業は大阪市営電気供給事業に吸収された。一方、大阪電灯は残余事業のみで存続する道を選ばず、市営化と同時に残余事業を関係のあった大同電力株式会社へ引き渡した。
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