大阪電燈と大阪瓦斯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:13 UTC 版)
この大火で大阪電燈は1万2千灯の需要を失ったが、これは同社の総需要の6パーセントで経営に大きな痛手となり、同社の地方支店を身売りして復旧に備えなければならなかった。一方、大阪瓦斯は3万戸中2千戸の契約者を失ったが、幸いにも配管が地中に設置されていたため配管の被害を受けることはなかった。 今回の大火の原因が石油ランプを誤って倒しガラス油壺が割れて火の海になったことが知られると、一気に電灯とガスの需要が高まった。特に大阪電燈は半期に4万灯以上の需要増、2年後の1911年(明治44年)末には大火前の2倍強にあたる50万灯に迫る倍増ぶりとなった。北の大火で大きな打撃を被った大阪電燈は結果として大きく業績を伸ばして発展したため、「大電の焼けぶとり」と言われるようになった。
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