大名への立身とは? わかりやすく解説

大名への立身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:18 UTC 版)

糟屋武則」の記事における「大名への立身」の解説

天正5年1577年)の羽柴秀吉播磨攻めの時、別所長治に従って朝正とその子である友員と共に三木城入ったが、小寺孝高説得により退去して、加古川城戻った同年武則は孝高の推挙により羽柴秀吉小姓頭となり、三木合戦参戦した。その支城である野口城攻略武則初陣となる。更に三木城攻防戦では箕谷ノ上付城守り包囲網一翼担った一方、朝正は三木合戦一戦である平井合戦天正7年2月6日1579年3月2日))で討死したので、天正8年1580年)に武則家督相続したその後中国戦役従軍していたと考えられるが、天正10年6月2日1582年6月21日)に本能寺の変が起こると、武則秀吉中国大返しに従って6月13日山崎の戦い参加した10月15日には、大徳寺行われた織田信長葬儀陪臣として参列した天正11年1583年)、賤ヶ岳の戦いでは、武則は「金の角取紙のエヅルの指物」の出立ちで、佐久間盛政配下宿屋左衛門合わせた宿屋左衛門は烏打坂の南に踏みとどまって桜井佐吉家一と戦っていたが、佐吉宿屋斬りつけられたところへ武則突進して佐吉助け、七左衛門突き出したところで武則が一突き殺したという。こうして、秀吉面前の西の切り通し付近奮戦して武功立てた武則は、福島正則加藤清正ら(賤ヶ岳の七本槍と共に一番槍賞詞6月5日渡され8月1日播磨国加古郡に2,000石、河内国河内郡に1,000石など合わせて3,000石余を拝領した天正12年1584年)の小牧・長久手の戦いでは、陣立書から他の七本槍と共に馬廻衆として兵150名を率いて本陣守っていたと考えられる天正14年1586年)に方広寺大仏作事奉行務め同年従五位下内膳正叙任された。天正15年1587年)の九州征伐にも兵150名を動員して従軍しており、同年3月には秀吉から加古川軍勢滞りなく渡河出来るよう集められるだけの船の調達命じられている。更に九州平定後の同年5月には、秀吉より将来大陸出兵備えて博多で城普請従事するよう指示されたが、博多への築城実際に行われなかった。 天正16年4月14日1588年5月10日後陽成天皇聚楽第行幸の際には天皇行列供奉している。天正18年1590年)の小田原征伐にも兵150名を動員して参加した。なお武則はこれら天下統一に至るまでの戦役のほとんどで後備として秀吉周囲を守るか後方支援にあたっていた。 天正19年1591年)には近江国検地奉行となって増田長盛と共に検地行っており、近江坂田郡にある秀吉蔵入地直轄領1万2,000石の代官にも任じられていた。この他大和国宇陀においても検地奉行秀吉蔵入地代官務めていたとされる文禄元年1592年)の文禄の役では、目付として片桐且元と共に200の手勢を引き連れて名護屋城出兵し、織田秀信九番隊に属して朝鮮渡海した。現地では且元らと共に石田三成奉行衆配下の「御代官衆(御小姓衆)」に位置付けられ占領地代官を担うものとされていたようである。それ以外にも太田一吉新庄直忠と共に占領地離散した朝鮮住民帰還促す訓令発布するなどしたほか、晋州城攻防戦参加して活躍している。翌年講和向けた休戦伴って帰国した帰国後、文禄2年1593年)には自領に近い播磨三木郡秀吉蔵入地1万石の代官任じられている。更に実態はっきりしないものの、中川秀成移封後の三木城歴代城番一人として武則の名が伝わっている。文禄3年1594年)には伏見城普請にも参加した文禄4年1595年)に豊臣秀次失脚すると、秀次が高野山出発するまでの間、伏見武則屋敷に秀次を軟禁したという。秀次事件直後同年8月17日にはかつての賤ヶ岳での戦功追賞するとの名目播磨国内にて6,000石の加増を受け、加古川城1万2,000石の大名となった慶長3年1598年)に秀吉死去すると、形見分けとして遺物10拝領した慶長5年1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、360名の兵を率いて文治派奉行衆中心とした石田三成方の西軍加わり、同じ播磨木下延俊と共に伏見城の戦い参加した。更に関ヶ原本戦では宇喜多秀家隊に属して奮戦したと言われている(関ヶ原本戦の配置参照)。関ヶ原の戦いの戦後処理家禄没収され改易された。

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