大名への道とは? わかりやすく解説

大名への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:13 UTC 版)

京極高次」の記事における「大名への道」の解説

秀吉側室となった妹・竜子嘆願などにより、高次許され秀吉に仕えることとなり、天正12年1584年)に近江国高島郡2,500石を与えられる翌々年には5,000石へと加増された。さらに同年九州平定での功により、1万石に加増され、大溝城与えられ大名となった天正15年1587年)、京極家旧家臣である浅井家の娘・初(父は浅井長政)を正室とする。高次と初は従兄妹同士であった天正18年1590年)、小田原征伐の功により近江八幡山城2万8,000石となり、翌年豊臣秀次関白就任すると、従五位下侍従に任ぜられる。

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大名への道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:25 UTC 版)

仙石秀久」の記事における「大名への道」の解説

永禄10年1567年)、14歳織田家入り果たしてからは羽柴隊(木下隊)の馬廻衆として各地転戦し最古参家臣として秀吉から寵愛受けた元亀元年1570年)の姉川の戦いにも参加している。この戦いで浅井方の山崎新平討ち取った功績により、天正2年1574年)に秀吉から近江国野洲郡に1,000石を与えられ一領となった。また同じ羽柴家家臣黄母衣衆一員である野々村幸成の娘・本陽院正室に、甲斐国浪人の娘であるという慶宗院を側室それぞれ迎えて10男6女を儲けている。 やがて秀吉信長から中国攻略命じられると、秀久はそれに従軍して戦功挙げる天正6年1578年)に4,000石を加増天正7年1579年)には茶臼山城任せられ赤松峠を越える播磨道警護当たったまた、三木合戦三木城包囲していたこの時期には秀吉三木城から幾度も通った湯の山街道有馬温泉統括する湯山奉行にも任じられている。さらに天正9年1581年)には黒田孝高らと淡路島渡って岩屋城由良城を陥落させた(淡路遠征)。 天正10年1582年6月信長本能寺の変死去し秀吉中国大返し山崎の戦いが始まると、秀久は淡路明智光秀方に与した豪族達を討伐するにあたり淡路平定貢献した秀吉織田氏重臣柴田勝家賤ヶ岳の戦い対決。秀久も羽柴秀勝と共に十二番隊の将として参戦する予定であったが、秀吉は秀久に四国勢抑えとして急遽近江から淡路出向く命を与えた。これにより、柴田側に与した四国長宗我部元親対陣することとなる。淡路入りした秀久は菅達長破りその後小豆島占拠し十河存保救援第二次十河城の戦い)するために四国へ渡る。 手始め高松頼邑が守る喜岡城攻めたが、落とせずに撤退次いで讃岐国引田上陸引田城入城した天正11年1583年4月21日長宗我部勢の香川信景らの部隊押し寄せるも、秀久は伏兵迎えうち、緒戦優勢となる。しかし数で優位な香川隊が態勢立て直す徐々に巻き返され次いで駆けつけ長宗我部勢の援軍攻撃により、引田城撤退。翌22日引田城長宗我部軍の総攻撃を受け落城し、秀久は敗走する引田の戦い)。一説では、この戦い最中に秀久は幟を取られる失態見せたといわれている。敗戦後淡路島小豆島守り固める事に専念し瀬戸内制海権維持によって四国勢牽制した。 天正11年1583年)、秀久は淡路平定軍功評価され淡路国5万石を拝領し大名となり、洲本城入城した天正8年1580年)との説もあるが、信長淡路平定軍として秀吉派遣したのは天正9年1581年)といわれているため、これは資料誤りである可能性が高い。淡路受領後淡路水軍小西行長石井与次兵衛梶原弥助複数水軍統括し紀州征伐では湯川一族討伐で功を挙げた羽柴本隊による四国攻めの折には喜岡城攻略木津城攻めで城の要を抑え城内水源絶つなど奮戦した天正13年1585年)、四国攻め論功行賞により讃岐1国(うち2万石は十河氏領)を与えられ聖通寺城(聖通寺山城、宇多津城)、或いは高松城入城した

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