野々村幸成
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野々村 幸成(ののむら ゆきなり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。初名は吉成(よしなり)。
- ^ a b 国書刊行会 1915, p. 347.
- ^ 宮崎英修『続・日蓮宗の人びと』宝文館出版、1987年。ISBN 4832013173
- ^ 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第2輯』國民圖書、1923年、674頁 。
- ^ 谷口克広; 高木昭作(監修)『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年、301頁。ISBN 4642027432。
- ^ 岡田文園『国立国会図書館デジタルコレクション 新撰美濃志』一信社出版部、1926年、157頁 。
- ^ ただし、谷口克広は父親の野々村幸政は美濃国の出身と考えられるとし[4]、『新撰美濃志』によれば、野々村氏は尾州津島の十五家の1つで、彼らは木曽川と長良川を挟んだ(尾張)海東郡津島と(美濃)石津郡高須の両方にまたがっていたといい[5]、尾張美濃どちらとも言い難い。
- ^ a b c d e 阿部 & 西村 1990, p. 619
- ^ 桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年、124頁。ASIN B000J9GTRU
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