地質学的な歴史とは? わかりやすく解説

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地質学的な歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 02:25 UTC 版)

日本列島」の記事における「地質学的な歴史」の解説

中新世前期には、沈み込みによる大陸辺縁分離活発化した。※Ma百万年前 (Mega annum) - 主に地質学使われる時間の単位 鮮新世後期 - 更新世前期には、日本海拡大終息して島孤は現在に近い配置になっている更新世終わり2万年前頃には、ほぼ現在に近い地形であるが、最終氷期最盛期のため海面低下し日本海外洋を繋ぐ海峡は非常に狭かった地質学的視点日本列島というものがどのように形成されてきたのか解説する。かつて日本付近ユーラシア大陸の端で、古生代には大陸から運ばれてきた砂や泥が堆積していた(現在の北陸北部岐阜県飛騨地方山陰北部など)。そこへ、はるか沖合海洋プレートの上堆積した珊瑚放散虫などからなる岩石石灰岩チャート)が移動してきて、それが海溝潜り込むときに、陸からの堆積物混合しながらアジア大陸プレート押しつけられて加わった付加)。この付加断続的に現在まで続いたため、日本列島日本海側古く太平洋側に行くほど新し岩盤でできている(現在の日本列島は、主に付加体呼ばれる海洋でできた堆積物からなっている)。 このようなメカニズム大陸側プレート海洋プレート潜り込む中で、主にジュラ紀 - 白亜紀付加した岩盤骨格に、元からあった4 - 5年前アジア大陸縁辺岩盤イザナギプレートなど)と、運ばれてきた古いプレート破片などを巻き込みながら、日本列島原型形作られた。この時点では日本はまだ列島ではなく現在の南米アンデス山脈のような状況だったと考えられるその後中新世になると今度日本列島大陸から引き裂かれる地殻変動発生し大陸低地出来始めた2100 - 1100万年前にはさらに断裂大きくなり、西南日本長崎県対馬南西部付近中心に時計回り40 - 50回転し同時に東北日本北海道知床半島付近中心に、こちらは反時計回り40 - 50回転したとされる。これにより今の日本列島関東以北南北に、中部以西東西延びる形になったいわゆる観音開きモデル説」である。そして、およそ1500万年前に日本海となる大きな窪み形成され、海が侵入してきて、現在の日本海大きさまで拡大した1600万年前から1100万年前までは、西南日本(今の中部地方以西)のかなり広い範囲陸地であった東北日本(今の東北地方)は、広く海に覆われ多島海状況であったその後東北日本は、太平洋プレートなどによる東西からの圧縮により隆起して陸地となり、現在の奥羽山脈出羽丘陵形成されるいたった北海道はもともと東北日本続き(今の西北海道)と樺太から続く南北性の地塊中央北海道)および千島弧(東北海道)という三つ地塊接合して形成されたものである南西諸島日本島弧中でも最も新しく成立した島弧で、600万年以前大陸一部であったが、大陸の縁で開裂起こり完全に大陸から切り離されサンゴ礁持った島弧となったのは150万年以降である。 西南日本東北日本の間は浅い海であったが、この時代以降堆積物火山噴出物次第満たされながら、東北日本が東から圧縮されることで隆起し中央高地日本アルプスとなった西南日本東北日本の間の新し地層フォッサマグナといい、西縁は糸魚川静岡構造線、東縁は新発田小出構造線柏崎千葉構造線で、この構造線両側では全く異な時代地層接している。 こうして、不完全ながらも今日弧状列島の形として現れたのは、第三紀鮮新世初めであったその後も、特に氷期の時などには海水準低下するなどして、大陸陸続きになることがしばしばあった。例えば、間宮海峡は浅いため、外満洲樺太北海道はしばし陸橋連絡があった。津軽対馬海峡130 - 140メートルと深いため、陸橋になった時期限られていた。また、南西諸島ではトカラ海峡鹿児島以南)、ケラマ海峡沖縄島以南)のともに1000メートルを超す水深であり、第四紀後半陸橋になった可能性はまず考えられない南西諸島生物相固有種多く、種の数が少ないなどの離島特徴を示すことは、大陸から離れた時代きわめて古いためと考えられている。陸橋問題では、津軽海峡鮮新世末まで開いており、対馬海峡日本海開裂時代には開いていたが、その後中新世末から鮮新世には閉じた考えられている。 最後氷期終わり、マイナス約60mの宗谷海峡海水面下に没したのは、更新世終末から完新世初頭、すなわち約1万3,000年から1万2,000年前である。 現在の日本列島は、地形的には、 樺太北海道本州四国その周辺からなる日本列島主弧 九州南西諸島などからなる九州琉球弧 北海道東部千島弧の一部伊豆半島伊豆・小笠原・マリアナ弧一部) などからなるいずれも、島孤の東側あるいは南側は狭い大陸棚があってその沖は沈み込み帯海溝トラフ)であり、海溝型地震頻繁に発生する。この沈み込み帯に対して全体的には平行に山脈火山帯連なっている。その山脈の間や海沿い細長く盆地平野点在している。日本最大平野である関東平野例外的に広く、その形成理由詳しく解明されていないが、基盤岩深度が深いフォッサマグナ位置する事や、3枚プレート重なっている事などが挙げられる全般的に地震の発生多く起伏激し地形が多い。

※この「地質学的な歴史」の解説は、「日本列島」の解説の一部です。
「地質学的な歴史」を含む「日本列島」の記事については、「日本列島」の概要を参照ください。

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