国際関係・外交
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「ハイチの国際関係」および「en:Foreign relations of Haiti」も参照 歴史的に関りが深いアメリカ合衆国やフランスのほかカナダとの関係を重視している。キューバとも1996年に国交を回復させた(キューバ革命で米国や親米諸国と対立関係にあった)。カリブ海世界や中南米の一国としてカリブ共同体(CARICOM)やラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)に参加している。政情不安や災害による打撃が大きく、国際連合や米州機構(OAS)の支援を受けている。 日本との外交関係は、太平洋戦争後の1956年に再開された。在ドミニカ日本大使館による兼轄を経て、2020年1月1日に在ハイチ日本大使館が開設される予定である。 「日本とハイチの関係」も参照 ハイチは中華民国(台湾)を承認している。
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国際関係・外交
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詳細は「ウズベキスタンの国際関係」および「日本とウズベキスタンの関係」を参照 全方位的外交を展開し、ロシアなど旧ソ連諸国が参加するCIS諸国、中華人民共和国などアジア諸国、欧米などとも友好関係を持っている。 日本との間も官民両面で友好関係を保っており、両国に大使館を持っている。ただし、第二次世界大戦後、ソ連対日参戦に伴うシベリア抑留を受けた日本人捕虜は首都タシュケントにも回され、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場の工事などに従事したという過去もある。なお、この劇場は1966年のタシュケント地震の際にも全くの無傷という見事な仕事ぶりであった。 ウズベキスタンは1991年12月にCISに参加した。しかし、1999年にCIS集団安全保障体制から脱退した。これ以降、ウズベキスタンは自国の安定に影響を及ぼすタジキスタンとアフガニスタン両国の紛争の解決の手助けをするためタジキスタンのCIS平和維持軍や国連により組織された平和維持軍に参加している。 かつてはアメリカ合衆国とウズベキスタンの関係は良好であった。2004年にはアメリカ合衆国はウズベキスタンに軍事費の約4分の1に当たる5億USドルを援助、ウズベキスタン政府はアメリカ合衆国軍によるアフガニスタンへの空軍軍事作戦に際しカルシ・ハナバード空軍基地の使用を許可していた。ウズベキスタンはアメリカ合衆国の掲げる世界規模の対テロ戦争の積極的な支持者であり、アフガニスタンとイラクの両地域において支援作戦を展開していた。 ウズベキスタンとアメリカ合衆国両国の関係はジョージアやウクライナで2000年代半ばに起きた「色の革命」(後にキルギスへも影響が拡大した)の後、悪化が進んだ。アメリカ合衆国がアンディジャンの流血事件に対して独立した国際調査団参加に名乗りを上げると、両国の関係は極めて悪化、大統領のイスラム・カリモフは外交路線を転換し、人権侵害非難を支持することのなかったロシアや中国に接近する姿勢を見せるようになった。 2005年7月後半、ウズベキスタン政府はアメリカ合衆国にアフガニスタン国境に近いカルシ・ハナバード空軍基地から180日以内に撤退するよう命じた。カリモフは9.11後の短期間、アメリカ合衆国に空軍基地使用を申し出ていた。ウズベキスタン人の中には、アンディジャン事件に対する抗議による、アンディジャン地区におけるアメリカ合衆国やイギリスの影響力増加への懸念が撤退命令につながったと考える者もいる。これもまたウズベキスタンと西洋諸国が対立した理由の一つに挙げられている。 ウズベキスタン南端のテルメズは、アムダリヤ川に架けられた「友好の橋」でアフガニスタンと結ばれている。ウズベキスタンはかつてイスラム過激派を支援しているとしてアフガニスタンのタリバーンと対立してきたが、ミルズィヤエフ政権は現実主義路線から対話へ転じ、2021年のタリバーンによる政権奪取後も貿易や電力供給など関係を維持している。 ウズベキスタンは1992年3月2日より国際連合に加盟しているほか、欧州・大西洋パートナーシップ理事会(EAPC)、平和のためのパートナーシップ(PfP)、欧州安全保障協力機構(OSCE)のメンバーでもある。また、イスラム協力機構(OIC)や経済協力機構(ECO、中央アジアの5カ国とアゼルバイジャン、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンで構成)にも所属している。1999年、ウズベキスタンはGUAM (ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバ)のオブザーバーとなり、1997年に加盟してGUUAMとなったが、2005年に脱退している。 ウズベキスタンは中露の主導する上海協力機構(SCO)のメンバーでもあり、タシュケントでSCO地方反テロ構造(RATS)を開催している。ウズベキスタンは2002年に設立されたユーラシア経済共同体(EAEC)に加盟している。EAECはウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、ロシア、ベラルーシから構成されている。CACOはキルギスとカザフスタンにより設立された中央アジア連合が発展改称する形で設立された組織であり、ウズベキスタンはEAECの創立メンバーとして加盟している。 2006年9月、UNESCOはイスラム・カリモフをウズベキスタンの豊かな文化や伝統を保存した功績により表彰した。批判はあるが、ウズベキスタンと西洋諸国の間の関係を発展させた一つの証として捉えられている。 2006年10月にはもう一つウズベキスタンが西洋諸国からの孤立から脱する出来事があった。欧州連合(EU)は人権や自由に関して対話を行うため、長きに渡り対立していたウズベキスタンに対して使節団を送る計画があると発表した。アンディジャン事件に関する政府の公式発表と非公式の数字どちらが正しいのかという点に関しては曖昧であったものの、EUは明らかにウズベキスタンに対する経済制裁を弱める意志を見せた。しかし、ウズベキスタンの人々の間では、ウズベキスタン政府はロシア連邦と密接な関係を維持しようとしており、2004年から2005年にかけてのウズベキスタンでの抗議はアメリカ合衆国やイギリスにより引き起こされたものであると一般的に考えられている。
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