国連に参加・加盟した実績が無い地域とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 国連に参加・加盟した実績が無い地域の意味・解説 

国連に参加・加盟した実績が無い地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:15 UTC 版)

国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧」の記事における「国連に参加・加盟した実績が無い地域」の解説

コソボ共和国 - 承認国数 107/193(2015年8月時点2008年セルビアから独立宣言第一次バルカン戦争過程で、1912年オスマン帝国からの独立宣言したアルバニア帰属したが、1913年戦後理においてセルビア王国 (後のセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国ユーゴスラビア王国セルビア救国政府セルビア人民共和国)の領土となったユーゴスラビア連邦人民共和国(後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国ユーゴスラビア連邦共和国)の体制下で1946年セルビア人民共和国(後のセルビア社会主義共和国セルビア共和国)にコソボ・メトヒヤ自治州第一次)が設置され1974年自治権拡大したコソボ社会主義自治州移行されたが、1989年成立したスロボダン・ミロシェヴィッチ政権は、セルビア民族統一主義政策一環として自治権縮小したコソボ・メトヒヤ自治州第二次)を設置した。この措置に対してアルバニア住民反発し1990年コソボ共和国樹立した1998年勃発したコソボ紛争結果ユーゴスラビア連邦共和国実効支配下を離脱し国際連合コソボ暫定行政ミッション統治下でコソボ地位問題解決目指していたが、2007年国連暫定統治終了後地位を巡る交渉決裂したことによって一方的な独立至ったコソボ共和国を国として承認していない国々は、セルビア一部コソボ・メトヒヤ自治州)として扱っている。 サハラ・アラブ民主共和国 - 承認国数 47/193(2016年9月時点1976年スペインから独立宣言1884年からスペインの植民地スペイン領サハラとなっていた西サハラ返還運動モロッコモーリタニア高まった事を受け、1975年三者間でマドリード協定締結されスペイン西サハラから撤退した協定ではモロッコモーリタニアによる西サハラ分割統治定められたが、独立志向のサハラウィー人(英語版)を主体とする現地住民はこれを不服とし、1973年ポリサリオ戦線組織してアルジェリア支援の下で独立宣言した独立宣言直後から西サハラ戦争本格化し、1979年モーリタニア西サハラから撤退したものの、1991年停戦以降は、約7割に当る地域モロッコ実効支配している。サハラ・アラブ共和国西サハラの約3割を実効支配しているが、政府組織アルジェリア本拠地置いたままとなっており、西サハラ最終的な領有権決め西サハラ問題未解決となっている。 サハラ・アラブ民主共和国を国として承認していない国々多くモロッコ西サハラ領有承認しておらず、多くの国では西サハラを「国際連合西サハラ住民投票ミッション完了するまで主権帰属先未定地域」として扱っている。 クック諸島 - 承認国数 43/193(2015年8月時点2001年ニュージーランドとの共同宣言において、自由連合関係を維持しながら、主権独立国家として外交を行うことが宣言された。元々はニュージーランド属領であったが、1965年内政自治権獲得1973年には独自外交を行うとの宣言出され2001年共同宣言至った。しかし、防衛一定限度外交ニュージーランド責任負っていること、自由連合取り決めによりクック諸島国民ニュージーランド市民権保持していることから、国家構成要件である「主権」、「人民」を満たしていないとして国家承認をしていない国が多く存在するクック諸島を国として承認していない国々は、ニュージーランド自治体として扱っている。 ニウエ - 承認国数 18/193(2016年9月時点1974年内政自治権獲得ニュージーランド自由連合となった主権国家宣言はなされていないが、2007年中華人民共和国初め国家承認した。しかし、防衛外交ニュージーランド責任負っていること、自由連合取り決めによりニウエ国民ニュージーランド市民権保持していることから、国家構成要件である「主権」、「人民」を満たしていないとして国家承認をしていない国が多く存在するニウエを国として承認していない国々は、ニュージーランド自治体として扱っている。 アブハジア共和国 - 承認国数 5/193(2015年5月時点1992年ジョージアから独立宣言1921年ソビエト連邦アブハジア社会主義ソビエト共和国設置したが、1931年グルジア・ソビエト社会主義共和国内のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国降格された。その後ペレストロイカ過程ジョージアソビエト連邦から独立しアブハジア自治共和国設置された。ジョージアカルトヴェリ人民族主義政策強化一環として1992年憲法改正実施すると、これを自治権廃止捉えて反発したアブハズ人独立宣言し宣言直後勃発したアブハジア戦争英語版)に独立派勢力勝利することで、アブハジア大部分ジョージア実効支配下から離れた2008年ジョージア軍南オセチア侵攻契機として勃発した南オセチア紛争結果ジョージアアブハジア一部有していた支配権獲得しロシアによって独立承認された。 アブハジア共和国を国として承認していない国々は、ジョージア一部アブハジア自治共和国)として扱っている。 南オセチア共和国 - 承認国数 5/193(2014年3月時点1991年ジョージアから独立宣言1921年ソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国内の自治州として南オセチア自治州設置したが、ペレストロイカ過程においてグルジア・ソビエト社会主義共和国カルトヴェリ人民族主義政策強化一環として1990年自治州廃止した。これに対して南オセチア自治州多く居住するオセット人反発し1991年ジョージア独立直前勃発した第一次南オセチア紛争英語版)を経て独立至った2008年ジョージアによる南オセチア侵攻契機として勃発した第二次南オセチア紛争結果ジョージア南オセチア一部有していた支配権獲得しロシアによって独立承認された。 南オセチア共和国を国として承認していない国々は、ジョージア一部ラチャ=レチフミおよびクヴェモ・スヴァネティ州シダ・カルトリ州ムツヘタ=ムティアネティ州)として扱っている。 北キプロス・トルコ共和国 - 承認国数 1/193 1983年キプロスから独立宣言1960年独立したキプロス共和国政府ギリシャ系住民トルコ系住民共存目指していたが、キプロス紛争過程において1974年ギリシャ軍事政権支援受けたギリシア民兵によるクーデター政権崩壊した。これに対しエノシス英語版)(全キプロスギリシャへの統合実現の可能性恐れたトルコは「トルコ系住民保護」を名目トルコ軍キプロス侵攻させ、キプロス北部トルコ軍実効支配地域南部キプロス政府実効支配地域分断された。1975年トルコ軍実効支配地域キプロス連邦トルコ人共和国建国して連邦制によるキプロス共和国政府との再統合目指したものの、分断以前体制への復帰を望む共和国政府との統合交渉決裂したことによって独立至った北キプロス・トルコ共和国を国として承認していない国々は、キプロス共和国一部ファマグスタ地区キレニア地区ラルナカ地区ニコシア地区)として扱っている。 ドネツク人民共和国 - 承認国数 1/193 2014年ウクライナから独立宣言同年発生したウクライナ東部紛争過程親ロシア派独立宣言したドネツィク州の3割ほどの地域実効支配している。 ドネツク人民共和国を国として承認していない国々は、ウクライナ一部ドネツィク州)として扱っている。 ルガンスク人民共和国 - 承認国数 1/193 2014年ウクライナから独立宣言同年発生したウクライナ東部紛争過程親ロシア派独立宣言したルハーンシク州半分ほどの地域実効支配している。 ルガンスク人民共和国国家として承認していない国々は、ウクライナ一部ルハーンシク州)として扱っている。

※この「国連に参加・加盟した実績が無い地域」の解説は、「国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧」の解説の一部です。
「国連に参加・加盟した実績が無い地域」を含む「国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧」の記事については、「国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国連に参加・加盟した実績が無い地域」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国連に参加・加盟した実績が無い地域」の関連用語

国連に参加・加盟した実績が無い地域のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国連に参加・加盟した実績が無い地域のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS