国連に参加・加盟した実績が無い地域
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コソボ共和国 - 承認国数 107/193(2015年8月時点) 2008年にセルビアから独立宣言。第一次バルカン戦争の過程で、1912年にオスマン帝国からの独立を宣言したアルバニアに帰属したが、1913年の戦後処理においてセルビア王国 (後のセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国→ユーゴスラビア王国→セルビア救国政府→セルビア人民共和国)の領土となった。ユーゴスラビア連邦人民共和国(後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国 →ユーゴスラビア連邦共和国)の体制下で1946年にセルビア人民共和国(後のセルビア社会主義共和国→セルビア共和国)にコソボ・メトヒヤ自治州(第一次)が設置され、1974年に自治権を拡大したコソボ社会主義自治州に移行されたが、1989年に成立したスロボダン・ミロシェヴィッチ政権は、セルビア民族統一主義政策の一環として自治権を縮小したコソボ・メトヒヤ自治州(第二次)を設置した。この措置に対してアルバニア系住民が反発し、1990年にコソボ共和国を樹立した。1998年に勃発したコソボ紛争の結果、ユーゴスラビア連邦共和国の実効支配下を離脱し、国際連合コソボ暫定行政ミッションの統治下でコソボ地位問題の解決を目指していたが、2007年に国連暫定統治終了後の地位を巡る交渉が決裂したことによって一方的な独立に至った。 コソボ共和国を国として承認していない国々は、セルビアの一部(コソボ・メトヒヤ自治州)として扱っている。 サハラ・アラブ民主共和国 - 承認国数 47/193(2016年9月時点) 1976年にスペインから独立宣言。1884年からスペインの植民地(スペイン領サハラ)となっていた西サハラの返還運動がモロッコとモーリタニアで高まった事を受け、1975年に三者間でマドリード協定が締結されてスペインは西サハラから撤退した。協定ではモロッコとモーリタニアによる西サハラの分割統治が定められたが、独立志向のサハラウィー人(英語版)を主体とする現地住民はこれを不服とし、1973年にポリサリオ戦線を組織してアルジェリアの支援の下で独立を宣言した。独立宣言直後から西サハラ戦争が本格化し、1979年にモーリタニアは西サハラから撤退したものの、1991年の停戦以降は、約7割に当る地域をモロッコが実効支配している。サハラ・アラブ共和国は西サハラの約3割を実効支配しているが、政府組織はアルジェリアに本拠地を置いたままとなっており、西サハラの最終的な領有権を決める西サハラ問題も未解決となっている。 サハラ・アラブ民主共和国を国として承認していない国々の多くはモロッコの西サハラ領有も承認しておらず、多くの国では西サハラを「国際連合西サハラ住民投票ミッションが完了するまで主権帰属先が未定の地域」として扱っている。 クック諸島 - 承認国数 43/193(2015年8月時点) 2001年のニュージーランドとの共同宣言において、自由連合関係を維持しながら、主権独立国家として外交を行うことが宣言された。元々はニュージーランドの属領であったが、1965年に内政自治権を獲得、1973年には独自外交を行うとの宣言が出され、2001年の共同宣言に至った。しかし、防衛と一定限度の外交はニュージーランドが責任を負っていること、自由連合の取り決めによりクック諸島国民はニュージーランドの市民権を保持していることから、国家の構成要件である「主権」、「人民」を満たしていないとして国家承認をしていない国が多く存在する。 クック諸島を国として承認していない国々は、ニュージーランドの自治体として扱っている。 ニウエ - 承認国数 18/193(2016年9月時点) 1974年に内政自治権を獲得、ニュージーランドの自由連合国となった。主権国家宣言はなされていないが、2007年に中華人民共和国が初めて国家承認した。しかし、防衛と外交はニュージーランドが責任を負っていること、自由連合の取り決めによりニウエ国民はニュージーランドの市民権を保持していることから、国家の構成要件である「主権」、「人民」を満たしていないとして国家承認をしていない国が多く存在する。 ニウエを国として承認していない国々は、ニュージーランドの自治体として扱っている。 アブハジア共和国 - 承認国数 5/193(2015年5月時点) 1992年にジョージアから独立宣言。1921年にソビエト連邦がアブハジア社会主義ソビエト共和国を設置したが、1931年にグルジア・ソビエト社会主義共和国内のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国へ降格された。その後、ペレストロイカの過程でジョージアはソビエト連邦から独立し、アブハジア自治共和国が設置された。ジョージアはカルトヴェリ人の民族主義政策強化の一環として1992年に憲法改正を実施すると、これを自治権の廃止と捉えて反発したアブハズ人が独立を宣言し、宣言直後に勃発したアブハジア戦争(英語版)に独立派勢力が勝利することで、アブハジアの大部分がジョージアの実効支配下から離れた。2008年にジョージア軍の南オセチア侵攻を契機として勃発した南オセチア紛争の結果、ジョージアがアブハジアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。 アブハジア共和国を国として承認していない国々は、ジョージアの一部(アブハジア自治共和国)として扱っている。 南オセチア共和国 - 承認国数 5/193(2014年3月時点) 1991年にジョージアから独立宣言。1921年にソビエト連邦がグルジア・ソビエト社会主義共和国内の自治州として南オセチア自治州を設置したが、ペレストロイカの過程においてグルジア・ソビエト社会主義共和国はカルトヴェリ人の民族主義政策強化の一環として1990年に自治州を廃止した。これに対して南オセチア自治州に多く居住するオセット人が反発し、1991年のジョージア独立直前に勃発した第一次南オセチア紛争(英語版)を経て独立に至った。2008年のジョージアによる南オセチア侵攻を契機として勃発した第二次南オセチア紛争の結果、ジョージアが南オセチアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。 南オセチア共和国を国として承認していない国々は、ジョージアの一部(ラチャ=レチフミおよびクヴェモ・スヴァネティ州・シダ・カルトリ州・ムツヘタ=ムティアネティ州)として扱っている。 北キプロス・トルコ共和国 - 承認国数 1/193 1983年にキプロスから独立宣言。1960年に独立したキプロス共和国政府はギリシャ系住民とトルコ系住民の共存を目指していたが、キプロス紛争の過程において1974年にギリシャ軍事政権の支援を受けたギリシア系民兵によるクーデターで政権が崩壊した。これに対し、エノシス(英語版)(全キプロスのギリシャへの統合)実現の可能性を恐れたトルコは「トルコ系住民保護」を名目にトルコ軍をキプロスへ侵攻させ、キプロスは北部のトルコ軍実効支配地域と南部のキプロス政府実効支配地域に分断された。1975年にトルコ軍実効支配地域はキプロス連邦トルコ人共和国を建国して連邦制によるキプロス共和国政府との再統合を目指したものの、分断以前の体制への復帰を望む共和国政府との統合交渉が決裂したことによって独立に至った。 北キプロス・トルコ共和国を国として承認していない国々は、キプロス共和国の一部(ファマグスタ地区・キレニア地区・ラルナカ地区・ニコシア地区)として扱っている。 ドネツク人民共和国 - 承認国数 1/193 2014年にウクライナから独立宣言。同年に発生したウクライナ東部紛争の過程で親ロシア派が独立を宣言した。ドネツィク州の3割ほどの地域を実効支配している。 ドネツク人民共和国を国として承認していない国々は、ウクライナの一部(ドネツィク州)として扱っている。 ルガンスク人民共和国 - 承認国数 1/193 2014年にウクライナから独立宣言。同年に発生したウクライナ東部紛争の過程で親ロシア派が独立を宣言した。ルハーンシク州の半分ほどの地域を実効支配している。 ルガンスク人民共和国を国家として承認していない国々は、ウクライナの一部(ルハーンシク州)として扱っている。
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