国連の仲介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:11 UTC 版)
「モハメッド・ファッラ・アイディード」の記事における「国連の仲介」の解説
首都モガディシュを制圧したUSCは、議長のアリ・マフディ・ムハンマドをソマリア暫定大統領とした。1992年3月3日、首都モガディシュ付近の主要軍閥は停戦合意し、国連監視団の受け入れを決めた。一方、アイディードは以前からUSC議長のアリの言うことを聞かないことが多かったが、バーレ追放後に対立が鮮明化した。アリはハウィエのアブガール(英語版)支族であり、一方アイディードは別の支族ハバー・ギディル(英語版)に属していた。アイディードは1992年6月に新たな軍閥ソマリ国民同盟(英語版)(SNA)を作った(ただし、以後もUSCとSNAの区別は曖昧であり「USC/SNA」と一纏めにされることも多い)。 国連は1992年7月から、第一次国際連合ソマリア活動に基づき、軍事部隊の展開を始めた。しかし、アイディードとアリの対立を始めとして、ソマリア国内の抗争は止まることがなかった。12月、アメリカは「希望回復作戦」を開始、21カ国の連合軍が統一タスクフォース(英語版)(UNITAF)としてソマリアに進出。アイディードとアリを仲介し、和解合意まで漕ぎつけた。 1993年3月15-28日、ソマリア国家再融和会議(英語版)が開催され、アイディードを始めとする軍閥のトップが集まって、停戦に関するアディス・アババ合意(英語版)が行われた。 一方国連は当時の事務総長ブトロス・ブトロス=ガーリの国際連合安全保障理事会への報告書がきっかけとなり、1993年3月26日に国際連合安全保障理事会決議814(英語版)を決議し、UNOSOM Iを改変した第二次国際連合ソマリア活動(UNOSOM II)を計画、28カ国から兵力を集めて、兵2万2千と後方支援8千の合計2万8千人を投入した。
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