国連の介入とは? わかりやすく解説

国連の介入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:31 UTC 版)

インドネシア独立戦争」の記事における「国連の介入」の解説

1946年11月12日オランダジャワ島スマトラ島マドゥラ島インドネシア共和国勢力下にあると認め双方連邦国家樹立向けて努力するという停戦協定リンガジャティ協定)が成立した。そして当初の予定どおり、イギリス軍11月中にインドネシアからの撤退完了した。 しかしオランダ軍は同協定批准済んでいない1947年1月24日東部ジャワクリアンとシドアルジョを攻撃、これを占領するとともにさらに内陸モジョケルトへも兵を進めた。このオランダ軍進出譲歩する徹底抗戦するかをめぐってインドネシア国内混乱が続くなかで(その結果6月27日シャフリル内閣崩壊)、6月28日オランダ軍全域での進軍命じスラバヤジョグジャカルタ周辺への空爆開始された。 1947年7月17日共和国側へ最後通牒突きつけオランダ軍は、7月21日共和国領内への全面的攻勢開始したオランダ側ではこれを「(第1次警察行動」という)。オランダ軍ジャワ西部ジャカルタチルボン南部チアミスタシクマラヤ北部スマラン、マグラン、スマトラメダンパレンバンなど、主だった拠点占領しインドネシア共和国臨時首都であるジョグジャカルタにも迫った12を超すオランダ軍装備の面でも、練度においてもインドネシア側の武装組織凌駕しており、独立軍都市部放棄せざるをえなかったが、一方オランダ側も、農村部でのゲリラ戦苦しめられた。これに対してオランダ軍徹底したゲリラ掃討作戦展開し1947年12月9日には西ジャワにある小村ラワゲデに独立派指導者ルカス・クスタリオが潜伏しているとして捜索行った際、に住む男性150人以上を虐殺する事件起きている。 ここで成立したばかりの国際連合介入8月1日国際連合安全保障理事会で、即時停戦仲裁による和平解決をもとめる安保理決議27採択された。この決議もとづいて8月4日停戦成立したが、その後オランダ軍攻撃止まず占領地域に次々と傀儡国家自治領域を設立していった。このためインドネシア共和国国連代表シャフリル前首相)の求めによって、国連インドネシア指名したオーストラリアオランダ指名したベルギー、そしてオーストラリア・ベルギー両国指名したアメリカ合衆国の3カ国による仲裁委員会設置決定した10月にはこの仲裁委員会の代表がジャカルタ到着し新たな停戦協定締結向けて努力していくことになった1948年1月17日ジャカルタ沖に停泊する米国軍艦レンヴィル (Renville) 艦上ハスケル級攻撃輸送艦APA-227)で調印され停戦協定レンヴィル協定)は、インドネシア共和国領をジャワ島中部西端部マドゥラ島のみとし、共和国側も、さらに狭い領域へと押し込まれる現状追認するしかなかった。

※この「国連の介入」の解説は、「インドネシア独立戦争」の解説の一部です。
「国連の介入」を含む「インドネシア独立戦争」の記事については、「インドネシア独立戦争」の概要を参照ください。

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