エチオピア軍侵攻とは? わかりやすく解説

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エチオピア軍侵攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 09:59 UTC 版)

ソマリア内戦」の記事における「エチオピア軍侵攻」の解説

詳細は「w:War in Somalia (200609)」および「w:2007 timeline of the War in Somalia」を参照 2006年12月6日国連安保理ソマリアへの国際平和維持部隊8000規模派遣武器禁輸一部緩和含んだ国連決議1725を採択したが、12月下旬にはイスラム法連合暫定政府拠点バイドア攻勢をかけ、20日には展開していたエチオピア軍との間に戦闘発生したバイドアエチオピアとの国境近く、ここの陥落エチオピアにとって危機であった12月24日エチオピアこれまで認めていなかったソマリア派兵事実確認エチオピア軍は航空機ミサイルにより、法廷連合軍攻撃加えた暫定政府支持するエチオピアの首相メレス・ゼナウィは、自国国家主権保全理由に、法廷連合と「戦争状態」に突入したことを認めたが、対テロ戦争位置づけ同時に国連AUEUによる和平活動支持したその日のうちに、空軍による法廷連合支配都市への空爆開始され25日には地上軍およそ1万5000人がモガディシュ進軍始めた26日27日国連安保理では、12月議長国カタールが「外国軍隊の即時撤退決議提案したが、英米などが反対して採決に至らなかった。またアラブ連盟エチオピア軍事活動即座停止求めAU同調したが、アメリカエチオピア支持しEU静観姿勢を採るなど、国連2つ割れたモガディシュ包囲したエチオピア軍と暫定政府軍は、28日に街の北と西から突入、既に1000人以上の死者出した法廷連合モガディシュ放棄し暫定政府発足以来初め首都制圧した29日にはゲーディ首相暫定政府要人として初め首都入り果たしその他の閣僚次々首都入りした。2007年1月1日エチオピア軍と暫定政府軍は、法廷連合最後拠点とした沿岸都市キスマユに対して激し攻撃加え法廷連合南部ケニア国境方面撤退した。これにより、暫定政府軍は北部ソマリランドプントランドなどの一部除きソマリア全土制圧した。後に、この侵攻作戦には米軍特殊部隊アドバイザーとして参加12月現地入り)していたことが公表された。 2007年1月1日暫定政府法廷会議対す勝利宣言行った。しかし、先のオガデン戦争によって国民の対エチオピア感情悪く自前軍事力小さ暫定政府は、治安維持軍事行動エチオピア軍に頼らなければならないが、駐留長引けば暫定政府への反発広がる矛盾抱えて出発となった一方エチオピア政府は、AU展開が進めば2週間程度撤退することを示唆した4日にアイディード副首相は、8000規模治安部隊創設示唆し、また国際部隊の早期派遣要望した。5日にはケニア国連AUアラブ連合EU周辺各国代表者会議が行われ、暫定政府PKO派遣国際復興支援要請したまた、ゲーディ首相エチオピア軍が平和維持軍編入されることを期待すると共に6日より国民武装解除強制的に実施する宣言したが、エチオピア軍の駐留反対する市民デモが相次ぎ一部暴徒化、軍や警察銃撃戦発生し死傷者出たこのような国内混乱懸念してフレイザー米国次官アフリカ担当)の訪問無期延期となった8日にはユスフ大統領モガディシュ入りした。 7日暫定政府軍とエチオピア軍は、法廷会議最後拠点ラス・カンボニへの攻撃開始12日制圧し法廷会議ケニア国境付近森林逃走した。しかし国内には残党存在しており、9日には武装勢力エチオピア軍に攻撃行ったため、エチオピア軍が反撃して交戦となったソマリア暫定議会混乱解消の為、13日に3ヶ月間の戒厳令実施可決した無許可デモ武器携帯禁止およびエチオピア駐留継続根拠となる。戒厳令により、武装勢力7派が武装解除応じ19日までに3派がテクニカル70台と迫撃砲200門を政府引き渡した一方同日夜に大統領公邸迫撃砲弾数発が打ち込まれ暫定政府軍とエチオピア軍が応戦銃撃戦となった犯行法廷連合残党よるもの思われる。また同日エチオピアメレス首相国民の反エチオピア感情配慮する形で軍の撤退示唆し、代わってAU平和維持軍9大隊7650人を派遣する事を決定した。しかし、治安の悪化財源不足のため、参加国派遣期間などは決定しなかった。24日には国際連合開発計画代表団乗せた旅客機モガディシュ空港へ着陸した際、迫撃砲攻撃された。機体乗客は無事であったが、地上空港職員1名が死亡した2008年8月19日国連の仲介ソマリア暫定連邦政府ソマリア解放連盟(旧・イスラム法連合)はジブチ合意署名し、この合意に基づきエチオピア軍は2009年初頭までに撤退することになった

※この「エチオピア軍侵攻」の解説は、「ソマリア内戦」の解説の一部です。
「エチオピア軍侵攻」を含む「ソマリア内戦」の記事については、「ソマリア内戦」の概要を参照ください。

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