エチオピア軍侵攻
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詳細は「w:War in Somalia (2006–09)」および「w:2007 timeline of the War in Somalia」を参照 2006年12月6日、国連安保理はソマリアへの国際平和維持部隊(8000人規模)派遣と武器禁輸の一部緩和を含んだ国連決議1725を採択したが、12月下旬にはイスラム法廷連合が暫定政府の拠点バイドアに攻勢をかけ、20日には展開していたエチオピア軍との間に戦闘が発生した。バイドアはエチオピアとの国境に近く、ここの陥落はエチオピアにとって危機であった。 12月24日、エチオピアはこれまで認めていなかったソマリア派兵の事実を確認、エチオピア軍は航空機とミサイルにより、法廷連合軍に攻撃を加えた。暫定政府を支持するエチオピアの首相メレス・ゼナウィは、自国の国家主権保全を理由に、法廷連合と「戦争状態」に突入したことを認めたが、対テロ戦争と位置づけ、同時に国連・AU・EUによる和平活動を支持した。その日のうちに、空軍による法廷連合支配都市への空爆が開始され、25日には地上軍およそ1万5000人がモガディシュへ進軍を始めた。26日と27日の国連安保理では、12月の議長国カタールが「外国軍隊の即時撤退」決議を提案したが、英米などが反対して採決に至らなかった。またアラブ連盟もエチオピアの軍事活動の即座停止を求め、AUも同調したが、アメリカはエチオピアを支持し、EUも静観の姿勢を採るなど、国連も2つに割れた。 モガディシュを包囲したエチオピア軍と暫定政府軍は、28日に街の北と西から突入、既に1000人以上の死者を出した法廷連合はモガディシュを放棄し、暫定政府は発足以来、初めて首都を制圧した。29日にはゲーディ首相が暫定政府要人として初めて首都入りを果たし、その他の閣僚も次々に首都入りした。2007年1月1日、エチオピア軍と暫定政府軍は、法廷連合が最後の拠点とした沿岸都市キスマユに対して激しい攻撃を加え、法廷連合は南部のケニア国境方面に撤退した。これにより、暫定政府軍は北部のソマリランドやプントランドなどの一部を除き、ソマリア全土を制圧した。後に、この侵攻作戦には米軍特殊部隊がアドバイザーとして参加(12月に現地入り)していたことが公表された。 2007年1月1日、暫定政府は法廷会議に対する勝利宣言を行った。しかし、先のオガデン戦争によって国民の対エチオピア感情は悪く、自前の軍事力が小さい暫定政府は、治安維持や軍事行動をエチオピア軍に頼らなければならないが、駐留が長引けば暫定政府への反発が広がる矛盾を抱えての出発となった。一方のエチオピア政府は、AU展開が進めば2週間程度で撤退することを示唆した。4日にアイディード副首相は、8000人規模の治安部隊創設を示唆し、また国際部隊の早期派遣を要望した。5日にはケニアで国連、AU、アラブ連合、EU、周辺各国の代表者会議が行われ、暫定政府はPKOの派遣と国際復興支援を要請した。また、ゲーディ首相はエチオピア軍が平和維持軍へ編入されることを期待すると共に、6日より国民の武装解除を強制的に実施すると宣言したが、エチオピア軍の駐留に反対する市民のデモが相次ぎ一部が暴徒化、軍や警察と銃撃戦が発生し、死傷者が出た。このような国内混乱を懸念して、フレイザー米国務次官(アフリカ担当)の訪問が無期延期となった。8日にはユスフ大統領もモガディシュ入りした。 7日、暫定政府軍とエチオピア軍は、法廷会議の最後の拠点ラス・カンボニへの攻撃を開始、12日に制圧し、法廷会議はケニア国境付近の森林へ逃走した。しかし国内には残党が存在しており、9日には武装勢力がエチオピア軍に攻撃を行ったため、エチオピア軍が反撃して交戦となった。ソマリア暫定議会は混乱解消の為、13日に3ヶ月間の戒厳令実施を可決した。無許可デモと武器携帯の禁止およびエチオピア軍駐留継続の根拠となる。戒厳令により、武装勢力7派が武装解除に応じ、19日までに3派がテクニカル70台と迫撃砲200門を政府に引き渡した。一方、同日夜に大統領公邸に迫撃砲弾数発が打ち込まれ、暫定政府軍とエチオピア軍が応戦、銃撃戦となった。犯行は法廷連合の残党によるものと思われる。また同日、エチオピアのメレス首相は国民の反エチオピア感情に配慮する形で軍の撤退を示唆し、代わってAUが平和維持軍9大隊7650人を派遣する事を決定した。しかし、治安の悪化と財源不足のため、参加国・派遣期間などは決定しなかった。24日には国際連合開発計画の代表団を乗せた旅客機がモガディシュの空港へ着陸した際、迫撃砲で攻撃された。機体と乗客は無事であったが、地上の空港職員1名が死亡した。 2008年8月19日、国連の仲介でソマリア暫定連邦政府とソマリア再解放連盟(旧・イスラム法廷連合)はジブチ合意に署名し、この合意に基づき、エチオピア軍は2009年初頭までに撤退することになった。
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