エチオピア軍の進出と軍閥同士の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:24 UTC 版)
「グリエル」の記事における「エチオピア軍の進出と軍閥同士の戦闘」の解説
2014年2月、エチオピア軍がアル・シャバブを討伐するため、グリエルに大きな基地を建設した。3月、グリエルの治安を回復するためエチオピア軍数十人が来訪。グリエル地区の責任者が、エチオピア軍と協力することを表明。 2014年5月、グリエルでアル・スンナとアル・シャバブが戦闘となった。 2014年12月12日、アル・スンナがソマリア政府軍からグリエルを奪い、一方、政府軍がアル・スンナからデュサマレブを奪ったと報じられた。さらに15日にソマリア政府軍がグリエルを奪還。アル・スンナは戦わずにヘラーレ(英語版)とGeri-jireに分かれて逃れた。 2015年2月、軍閥アル・スンナがグリエル郊外のソマリア政府軍基地を攻撃。アル・スンナが勝利してグリエルを奪還した。 2015年3月、ソマリア連邦政府の国防長官がグリエルを訪問。国防長官はグリエル地方政府、アル・スンナの双方と対談。国防長官は地元メディアに対して紛争の解決が必要だと語った。 2016年2月、ガルムドゥグ代表としてAxmed Cabdisalaan Xaaji Aadanがグリエルとデュサマレブを訪問しようとするが、現地を支配するアル・スンナは拒絶。 2016年6月、アル・スンナは、ソマリアの首都モガディシュに向かうアイル(英語版)氏族の族長Ugaas Xasan Ugaas Maxamed Nuurを逮捕し、Ugaasが支持するアダドからではなく、アル・スンナが支配するデュサマレブとグリエルから国会議員を選ぶように要請。 2016年11月、アル・スンナはグリエルのラジオ局ラジオガルガドゥードの閉鎖を発表。 2017年4月、ソマリア連邦政府はグリエルが干ばつに襲われたため、支援物資を積んだ飛行機を派遣。これは、前日アル・スンナの首領Sheekh Maxamed Shaakirがソマリア大統領と会談したことを受けてのものだった。 2017年7月、グリエルで偽ソマリア・シリングが発見されたのをきっかけに、アル・スンナはソマリア・シリングの使用を禁止した。これにより、地元市場は米ドルなどを求めるようになった。 2017年8月、グリエルのレストランで2名が銃殺され、アル・スンナが捜査したが、犯人は捕まらなかった。 2019年5月9日、ガルムドゥグの代表がグリエルを訪れ、アル・スンナとの打ち合わせを実施。 2019年5月、アル・シャバブとの戦闘で亡くなったアル・スンナの兵士の追悼式典で自爆テロが発生した。この時点でアル・スンナはデュサマレブとグリエルを支配していると報じられている。 2019年6月、グリエルでアイル(英語版)氏族の長老会議が開かれ、ガルムドゥグとの和解を歓迎する声明を発表。
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