エチオピア軍政下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:57 UTC 版)
エチオピアは、予防拘禁法を発布し、10年間、新聞の編集者を逮捕したり、独立系の出版社を閉鎖、ナショナリストなどを国外へ追放し、労働組合や政党を禁止した。また、エリトリアの国旗をエチオピアの国旗で置き換え、公の場や学校でのエリトリアの現地言語が使用を禁じさせられ、関税のエリトリアの取り分を差し押さえた。全ての産業も、アスマラからアディスアベバに移転させられた。そして、1962年、エチオピア議会はエリトリアの併合を決議し、11月14日、エチオピア軍は、エリトリア議会を強制的に解散し、エチオピアは正式にエリトリアを14番目の州として併合した。
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