名跡継承騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:54 UTC 版)
騒動の経緯 2013年10月4日、20代春日山が21代春日山に対して滞納分の賃貸料287万3548円の支払いと施設からの退去を請求する訴状を横浜地方裁判所川崎支部へ提出したことが明らかとなった。20代春日山の主張では、2013年に入ってから部屋の賃貸料の滞納が続いており、21代春日山が賃貸料の支払いと施設からの退去要求に応じなかったためであるとしている。 民事訴訟 これに対して、21代春日山は11月8日に会見を開き、2013年に入ってから部屋の賃貸料が倍増となったのを知らなかったと釈明した。それと共に、20代春日山と現時点で春日山の年寄名跡証書を保管しているとされるその知人の2人に対して証書の返還を求めて提訴する意向であることを表明し、同月11日に横浜地方裁判所川崎支部へ訴状を提出した。 その後、20代春日山が21代春日山を提訴した民事訴訟では、2014年7月11日に21代春日山の給与や部屋維持費などの仮差し押さえを認める決定が下され、その際には21代春日山側が20代春日山側の要求していた供託金を用意したために処分は取り消されたものの、2015年3月20日に再び仮差し押さえを認める決定が下された。同年6月17日には同支部にて両者の和解が成立し、21代春日山側が同年9月末までに現在の部屋施設から退去し、未払いとされた2013年5月から2015年9月までの29ヶ月分の賃貸料1740万円を20代春日山側に支払うことで合意した。この和解内容に基づき、部屋一同は9月場所後の9月28日に部屋施設から退去、川崎区の大師河原から池上新町へと新たに部屋を移転した。 対して、21代春日山が20代春日山を提訴した民事訴訟では、2015年3月3日に横浜地裁川崎支部にて行われた訴訟の弁論準備において、20代春日山側は年寄名跡・春日山の資産価値を1億8000万円と試算した書面を裁判所へ提出した。2016年8月2日に同支部は、相当対価は試算額を下回るものではなく、対価が支払われるまでは20代春日山側が年寄名跡証書を自ら保有する権利を有するとして、21代春日山に対して、同時点まで弁済したと判断した840万円を除いた金額である1億7160万円を支払うことを命ずる判決を下した。8月4日に21代春日山は前述の判決を不服として控訴した。 21代春日山の師匠不適格処分による部屋の閉鎖 一方、10月12日に協会は、 21代春日山が20代春日山から正式に年寄名跡証書を譲渡されていないこと。 同年9月場所中において21代春日山は稽古場に来て指導した日が1日もなかったこと。 の2点をもって、力士指導の面において21代春日山が師匠には不適格であると判断、辞任するように勧告した。21代春日山はこの時点での回答を保留し、協会は1週間後の同月19日午前10時までに回答するように通告した。 勧告を受けて、同月17日には部屋が立地する川崎市の福田紀彦市長は協会に対して部屋の存続を要請する要望書を提出した。部屋後援会が中心にまとめた嘆願書には地元17団体2798人の署名が添えられ、後援会長と菊地義雄副市長、川崎商工会議所の加治秀基副会頭、川崎大師平間寺の藤田隆乗貫首が同日夕、協会に持参し辞任勧告撤回を求めた。協会側からは鏡山と尾車が対応し、地元の意向を理事会に伝える考えを示したという。 翌18日には所属力士である幕下・水口と同・萬華城(まんかじょう)が勧告の撤回を求めて市内で会見を開き、同時に所属力士23人中11人が勧告撤回の嘆願書を協会へ提出したことが明らかとなった。しかし、勧告が撤回されることはなく、21代春日山は19日午前、これを受諾することを表明した。これに伴い、部屋は閉鎖され、同日付で21代春日山と部屋付き親方である13代高島および力士23人・世話人1人・行司1人・呼出1人・床山2人は、次期師匠が新たに就任するまでの間の一時預かりという形で、同じ伊勢ヶ濱一門で21代春日山が現役時代に所属していた追手風部屋へ移籍することが決定した。同時に年寄名跡証書の所有問題に関しては、協会側は未所有状況であることに変わりはないと認定したものの、裁判の決着まで結論を猶予する意向を示した。 ただし、辞任が急遽決定したために、埼玉県草加市にある追手風部屋の施設では受け入れ態勢が困難であるという理由から、暫定的な措置として、20代春日山が所有するかつての春日山部屋の施設で所属力士を指導することが認められ、19日の内に一同が池上新町から大師河原へと再び移転した。追手風部屋からは、部屋付き親方である15代中川(元幕内・旭里)が川崎へ移住した上で師匠代行として力士を指導することとなった。 また、同日中に所属力士23人中12人が引退届を提出したものの、協会は翌20日、即座には受理せず保留とした。同月27日までに、危機管理部長を務める8代鏡山(元関脇・多賀竜)が事情を説明した上で改めて電話で意思の確認を行ったところ、数人が引退を翻意する意向を示したことから、協会は改めて特例として受理を同年11月場所後の番付編成会議まで見送ることを決定した。これを受けて、同場所における番付では12人も追手風部屋の所属として記載されたものの、全員が本場所には出場せずに全休し、結局は誰も引退の撤回を表明することなく、場所終了後の11月30日に引退が正式に発表された。同年12月23日には川崎大師にて、12人にそれとは別に引退の意向を表明した2人を加えての所属力士14人の合同断髪式が行われた。 21代春日山退職 師匠辞任問題に関連して、協会は2016年11月20日、12月26日に行われる年寄総会において全ての年寄と人材育成業務の委託契約を締結し直し、当日に年寄名跡証書の預かり証を提出しない年寄を退職させることを決定した。21代春日山が20代春日山を提訴した民事訴訟の控訴審は同年11月1日から東京高等裁判所にて開始され、以降も断続的に両者の和解に向けての協議が行われたものの、和解条件の金額などに差があることで12月26日までの和解成立に至らず、証書の預かり証を期限内に提出することが不可能となってしまった。協会は当初は期限について猶予を与えない方針だったが、26日に次回の和解協議まで預かり証の提出を猶予することを決定し、21代春日山は同日までに提出できなかった場合は自主的に退職する意向を表明した。その後、2017年1月場所9日目となる1月16日に和解協議が行われたものの、そこでも両者の和解は成立せずに決裂し、21代春日山は年寄名跡証書を正式に取得する見込みが立たなくなったことを理由として、同日付で退職した。控訴審は決裂後も継続し、同年2月20日に21代春日山は20代春日山に対して年寄名跡証書の引き渡しを求めず、20代春日山も21代春日山に対してその対価を要求しないとして、双方が請求を取り下げる形で和解が成立したが、その直後の3月9日に20代春日山は急逝した。
※この「名跡継承騒動」の解説は、「中川部屋」の解説の一部です。
「名跡継承騒動」を含む「中川部屋」の記事については、「中川部屋」の概要を参照ください。
- 名跡継承騒動のページへのリンク