名跡復活〜六代目体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:53 UTC 版)
1976年、明友会抗争に絡む事件で服役していた桂木正夫が出所し、一心会を再興させ三代目山口組直参に昇格する。山口組五代目体制下にあって舎弟頭補佐の役を務め、1995年をもって引退。長年にわたり桂木の側近であった川﨑昌彦が同年内に会長に就任した。 2008年に後藤組組長・後藤忠政の処分問題が発生すると川﨑は、神戸の井奥会、熊本の三代目大門会、福島の六代目奥州会津角定一家、福岡の二代目浅川一家、そして大阪の浅川会ならびに太田興業とともに、山口組執行部を批判する立場に立つ。これがきっかけで川﨑は山口組から除籍処分を受けて引退する。その後、若頭を務めていた能塚恵が三代目を継承した。 2018年6月、山口組二次団体である朋友会を傘下に吸収する。これは六代目山口組の各ブロックの強化政策の一環で、山口組分裂に伴い組織力が低下した朋友会が、同じ大阪南ブロックの一心会に合流した形となる。朋友会会長である高島伸佳は、一心会会長代行を兼務することになった。
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