名跡証書の提出期限内に提出できなかった親方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 17:59 UTC 版)
「年寄株問題」の記事における「名跡証書の提出期限内に提出できなかった親方」の解説
14代鳴戸(隆の鶴) 鳴戸部屋を運営していた14代鳴戸は部屋運営資格を維持するために実効性のある名跡取得に追われ、14代田子ノ浦(久島海)の未亡人を頼って田子ノ浦を正式取得し、12月25日に16代田子ノ浦を襲名すると同時に実質的な部屋運営者であった13代鳴戸(隆の里)の遺族の元を離れて部屋施設を移転し、田子ノ浦部屋と部屋名を変更した。 鳴戸の名跡はその後、元琴欧洲勝紀(大関特権で3年間現役名年寄)が取得、2015年2月12日に15代鳴戸を襲名、2017年4月1日付けで鳴戸部屋を再興した。 16代熊ヶ谷(金親) 宮城野部屋の部屋付き親方だった16代熊ヶ谷は実際の証書所有者である9代宮城野(廣川)の遺族との話し合いが平行線をたどり、証書の取得が難航していたが、年明け後に証書を入手して2014年1月9日に提出した。 その後、2015年7月マネージャーの男性へ暴行を加えて負傷させた疑いで警視庁に逮捕、10月1日には日本相撲協会から解雇処分を受けた。熊ヶ谷の名跡は引き続き16代熊ヶ谷が所有(相撲協会を解雇されているため名義は本名の山村和行)していたが、2018年4月20日、15代荒磯(借株襲名)だった玉飛鳥大輔が株を取得し17代熊ヶ谷を襲名した。 21代春日山(濱錦) 春日山部屋を運営していた21代春日山は年寄株の引き渡しを巡って実際の証書所有者である20代春日山(春日富士)に対して法的措置を講じており、2016年8月2日に横浜地裁川崎支部で21代春日山に対し、20代春日山へ名跡の譲渡対価として1億7160万円の支払を命じる判決を言い渡されたが控訴。なお、協会側は21代春日山の年寄名跡所有に実効性を欠く状態が長期化したことに加え、21代春日山が地裁判決が出た直後の9月場所中に一度も部屋に向かわなかったことを重く見て、2016年10月12日に師匠辞任の勧告を行い、21代春日山もこれを受け入れて、春日山部屋は継承者が現れるまで一時閉鎖され、追手風部屋預かりとなった(その後、追手風部屋の部屋付き親方だった元旭里の15代中川が継承者となり中川部屋として再興するが、2020年7月に15代中川による弟子へのパワハラ問題により部屋閉鎖処分となった。)。訴訟は協会が定めた2017年1月の期限までに和解に至らず21代春日山は退職、その後2月20日に訴訟は和解するも、20代春日山は約2週間後の3月9日に死去した。 春日山の名跡は、20代春日山の遺族が所有した後、2017年3月24日、伊勢ノ海部屋所属の勢翔太が取得。名跡は2017年12月28日より引退した翔天狼大士が襲名(借株襲名)し22代春日山となったが、2019年7月25日に遠藤が所有している北陣に名跡を変更(借株襲名)。その後、2020年5月29日に12代清見潟(借株襲名)の武州山隆士が名跡変更により23代春日山を襲名(借株襲名)したが、2021年5月7日に待乳山に名跡を変更(元播竜山の田口孝晴より名跡を取得し襲名)したため再び空き名跡となり、同年7月21日に怪我により三段目まで番付を下げていた勢が現役を引退して24代春日山を襲名した。
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