名車『JAPエキセルシャー』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 14:02 UTC 版)
「競走車」の記事における「名車『JAPエキセルシャー』」の解説
1954年(昭和29年)、業界団体による輸入車としてスピードウェイレーサーの『J.A.P. Excelsior Mark2 model』という車両がイギリスより導入される。エクセルシオール製のフレームに J.A.プレストウィッチ(en:JA Prestwich Industries)製のエンジンを搭載したこのオートバイは、オートレース競走車の世界に新たな旋風を巻き起こし、後に“エクセルシオール”も英語読みして『JAPエキセルシャー』と呼ばれるようになった。 『JAPエキセルシャー』の特筆すべき点は、製造者名にちなみ「エキセルフレーム」と呼ばれたフレームの構造にあった。ダイヤモンドフレームの一種であるこのフレームは、その堅牢な構造もさることながら、スピードウェイ同様にダートトラック中心であったオートレースのレーススタイルに非常に良く適合したのである。フレームのみならずエンジンも優秀で、西方義治(期前・昭和25年度登録。元川口オートレース場所属)選手がこの『JAPエキセルシャー』で第1回開設記念グランプリ(川口オートレース場・現在のGI競走)を制するなど十分な実績を誇った。 しかし『JAPエキセルシャー』のエンジンはアルコール燃料を使用するものだったため、オクタン価を誤るとエンジンがすぐに焼き付いてしまい、使用不能になってしまうという欠点があった。その後、次第にガソリンに対応したコピー部品やコピーエンジンが国内で生産され、新たに「国産JAP」という呼称でデビューする。またフレームも「エキセルフレーム」を元に統一規格のフレームが開発されることになり、後に舗装路へ完全移行した後もエキセルフレームをベースに現行のフレームが開発され現在まで使用されることになる。 こうして輸入された原型の『JAPエキセルシャー』だけでなく、エンジンを改良した「国産JAP」もエンジンそのものの載せ替えにより減少していき、そして『JAPエキセルシャー』も「国産JAP」も、全オートレース場が完全舗装化された直後に姿を消した。
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