名跡としての松翁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 14:25 UTC 版)
天保6年(1835年)1月、前場所限りで9代庄之助が6代庄太郎(後の11代庄之助)に庄之助を譲るべく隠居したものの、何らかのトラブルで認められず庄太郎の実父で既に木村喜左衛門の名で隠居していた8代庄之助が12年ぶりに現役復帰した。番付には行司欄の最上段に「喜左衛門再勤 木村庄之助」と記載された。翌7年2月9代庄之助が復帰(後年10代庄之助と誤解される要因となった)すると8代庄之助は木村 松翁と名乗り庄之助の上位に記載させた。9年暮れに9代(10代)庄之助が現役で亡くなると庄太郎が11代庄之助を襲名するが、12年10月限り松翁が隠居するまで行司欄の筆頭は松翁で庄之助は次席であった。このことから後世「松翁は立行司より一枚上の存在」という誤解が生じた。 13代庄之助は引退後に年寄・木村松翁となり、15代庄之助は現役のまま年寄・木村松翁を兼ねた。
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