合流構想とその展開とは? わかりやすく解説

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合流構想とその展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 23:53 UTC 版)

大宏池会構想」の記事における「合流構想とその展開」の解説

加藤の乱による加藤派分裂直後から合流構想自体持ち上がる加藤個人対す反感から離脱した河野グループにとって、堀内派当時)と組むことに感情的な障害はないと見られたからである。さらに加藤小里派(現・谷垣派)から離脱した頃から、3派閥による合同構想語られるようになった2006年に入ると、ポスト小泉争い清和政策研究会当時森派出身安倍晋三優位伝えられ3代続いて清和研からの総理総裁誕生することが決定的となっていた。国政選挙の度に勢力拡大し最大派閥となっていた清和研対抗する意味合いもあり、大宏池会構想実現具体的に進行し始めた。既に河野グループ宮澤派離脱加藤の乱から5年以上が経過して感情的なしこりも薄らいできており、三派の幹部宏池会再結集基本合意した当初は大宏池会としての統一候補を出すことも模索されたが断念谷垣派谷垣禎一河野グループ麻生太郎ポスト小泉総裁選立候補するため、9月2006年総裁選終わった10月頃に、三派が統一する流れとなっていた。合流への最大へのネックのひとつと見られていた河野加藤確執についても、元々両者政治的思想近く、共にハト派自認しており、総裁選直前に、タカ派存在安倍への警戒感からか、宮澤派宏池会分裂後初め会談を行うなど、雪解け進んだ。 ところが総裁選では麻生・谷垣が出馬した一方堀内派改め丹羽・古賀派は「安倍支持」を表明、更に同派のベテランである柳澤伯夫安倍陣営選対本部長就任安倍勝利した総裁選後の人事では丹羽・古賀派からは丹羽総務会長就任したのに加え、4人を閣僚に送り込み河野グループでも麻生外相留任するなど「主流派となったのと対照的に谷垣派は完全に要職から外れて反主流派」となるなど、政権との距離において宏池会系が分断されるになった。 この総裁選後、10月丹羽・古賀派では、派閥乗っ取りに近い形で古賀会長就任して古賀派に、12月には河野グループ麻生派に、それぞれ衣替えがなされ、名実ともに麻生古賀派閥継承することになったしかしかつて盟友関係であったこの2人の関係の冷え込みも、その後大宏池会構想障害となっていく。 なお、2006年麻生谷垣総裁選前後何度会談持った際、麻生谷垣に「先に総理・総裁を)やらせてほしい」と主張したという。谷垣年明けに、この会談があった事実会談簡単な内容講演公にし、麻生反感をかった。また森喜朗谷垣苦言呈した安倍内閣退陣後2007年総裁選においては麻生早々に立候補表明する一方で谷垣派古賀派いち早く福田康夫支持打ち出し圧勝流れ作った。しかし麻生派閥横断的支持呼び掛けたのに呼応して、特に古賀派内部から麻生支持議員多く出るなど、複雑な様相見せた総裁選後の党人事では谷垣古賀それぞれ党四役入りして主流派となる一方で麻生入閣拒否総裁選では麻生包囲網と言われるほどに旧宏池会内部での麻生・反麻生対立関係が明確となり、とくに麻生古賀の関係が決定的に悪化した報じられ当面は大宏池会どころではなくなってしまった。その後古賀谷垣両派が再合流しいわゆる「中宏池会」が実現したが、翌年2008年総裁選では谷垣出馬断念して自主投票となり、少なからぬ議員がまたも麻生支持するなど、一致した総裁候補持てないことの弱み露呈した2009年になり麻生政権支持率低迷する中、2月麻生古賀両派の幹部会合が持たれた。政権基盤強化を狙う麻生と、麻生との関係修復影響力回復を狙う古賀思惑一致した形だが、「大宏池会」の話題出たという。ただし、麻生留守番役を務め麻生派中馬弘毅座長会合翌日合流論を否定した。両派の接近警戒感を持つ他派閥も多く合流実現しなかった。その後総選挙自民党大敗下野し麻生退陣後継総裁谷垣就任した2012年総裁選での古賀による現職総裁谷垣再選不支持により、旧谷垣派宏池会より離脱し宏池会瓦解また、麻生派領袖麻生も、総選挙敗北後野党総裁として、自民党分裂阻止し政権奪還目前までこぎつけた谷垣ではなく幹事長石原伸晃支持した古賀らを、「自分要職就けてくれた人(谷垣)を裏切り出馬辞退追い込んだ石原のような人間支持する人の神経理解できない」と痛烈に批判(麻生谷垣再選望んでおり、立候補した際には支援するつもりでいた)し、再登板目指す安倍晋三支持表明した総裁選終了後、中宏池会より離脱したメンバー正式に谷垣グループ発足宏池会でも、古賀一連の騒動責任を取る形で会長降り岸田文雄が跡を継いだ。時を同じくして、総裁返り咲いた安倍民主党政権解散追い込み政権奪還する。 この総選挙で、石原支持した古賀森喜朗引退また、新政権では、麻生谷垣さらには町村信孝を除く総裁選立候補全員閣僚または党幹部就任したその後2016年12月麻生派幹部谷垣グループ幹部岸田相次いで会談麻生派2017年7月山東派や、谷垣グループ一部合流して志公会となり、党内第二派閥となった麻生は度々構想言及するが、岸田派警戒感が強いとされ進展見られなかった。元来大宏池会構想党内最大派閥清和会対抗するという思惑があったが、第二次安倍政権においては麻生岸田いずれも政権中枢清和会出身安倍支え立場にあったことも、構想具体的な動きにならなかった理由一つであた。 その後2020年安倍退陣すると、安倍後継を選ぶ総裁選挙において岸田派閥超えた支持広がり欠いて敗北した。そこで岸田次期総裁選睨んで麻生らとの連携強めたいとの思惑から、絶望的な状況だった大宏池会について積極的な発言をするようになっていった。 2021年総裁選では麻生派自派河野太郎岸田双方支持し谷垣グループ岸田支持した岸田勝利する麻生派人事などで影響力発揮した。そこで、岸田政権においては再び大宏池会可能性語られるようになっている

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