合流構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 00:39 UTC 版)
加藤の乱による加藤派分裂の直後から合流構想自体はしばしば持ち上がっていた。当初はかつて宏池会に所属していた麻生派をも含めた大宏池会構想があったが、古賀派と谷垣派はハト派色が強く、麻生派はタカ派色が強いこと、安倍政権の下では、宏池会結集構想が「非安倍勢力の結集構想」という側面を持つため、安倍政権の主流派であるとされる麻生派を外した中宏池会構想が持ち上がった。 2007年前半には古賀が谷垣と会談を重ね、麻生派抜きでの古賀派・谷垣派の合流の流れを密かに作ろうとしたが、表に漏れてしまい、古賀派内の丹羽雄哉に近い議員や、古賀派出身の閣僚、さらには麻生太郎の反対にあい、参院選前に想定していた両派の合流構想は頓挫した。 同年9月の安倍内閣退陣後の総裁選では、谷垣派・古賀派が揃って福田康夫を支持して候補者である麻生太郎と対立、麻生包囲網などと呼ばれた。福田政権では古賀と谷垣が揃って党四役入りする一方で麻生は閣僚入りを拒否して非主流派に回った。現在ではかつての盟友である古賀・麻生の関係はすっかり冷え切っていると言われ、他方で古賀・谷垣の距離は接近しているため、再度中宏池会構想が取り沙汰されることが多くなった。 同年10月11日の会合で、遅くとも翌年春までの合流を目指す方向で意見が一致。さらにテロ特措法案などの関連で臨時国会が大幅延長されて国会閉会期間がほとんどない通年国会状態に突入すると、12月には前倒し論が浮上した。
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