古さとアジア内陸部との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:02 UTC 版)
「朝鮮民族主義歴史学」の記事における「古さとアジア内陸部との関係」の解説
民族主義歴史学は、同時代の遼東の夏家店上層文化(前1000–600)と夏家店下層文化(前2200–1600)の存在を見下して、濊貊を「先史時代の朝鮮半島における人種の統一、文化、国家」の始まりと考えている。日本の植民地の固有性主義(en:indigenism)パラダイムに伴って、朝鮮民族主義歴史学は、朝鮮の文化的正当性を証明するために、朝鮮民族の起源をどんどん古く主張していった。朝鮮人の「人種的起源」のような探索は、日本の国学の一部であった「国体」概念の反映である。申にとって、古代の理想時代の調査は、中国の史書の皇帝堯と舜の物価安定政策のような儒教の平和と安定ではなく、朝鮮民族が最大の領土を支配した時代だった。20世紀の人種や民族の概念の古代の朝鮮への逆投影が、「檀君の作り話で満たされた矛盾する物語の複雑な寄せ集め、競合する王朝の神話、部族の仮想的な侵略、説明できない考古学的データが…古代朝鮮の研究で事実とフィクションを区別することを事実上不可能にしている」という結果になった。民族主義は、韓国で主流の歴史学に浸透して、最近まで朝鮮語を書くために排他的に使われていた漢字は、学術誌の脚注に追いやられたり、完全に除外されたりしている。北朝鮮では歴史的時代区分は「各歴史段階の始まりをできるだけ遡らせ」て朝鮮文明の「優位性と先進性」を証明することに関わっている。 韓国では朝鮮民族主義歴史学は「民間考古学」とつながっており、視聴率を競うテレビ考古学者は古代朝鮮の境界をますます大きく主張している。例えば、1993年にKorea Daily(中央日報の英字紙)が延世大学校の考古学者孫宝基(ko:손보기)のモンゴルのウランバートルへの旅を後援し、彼は高句麗が大興安嶺山脈を超えて拡がっていた事を証明する新しい高句麗の石の要塞を発見と主張した。例えば、朝鮮の青銅器時代の芸術は、民間考古学者によってスキタイと結び付けられ、朝鮮半島への「優れた北部の人種の到来」を証明するものとされる。朝鮮のジャーナリストや研究者は、朝鮮の「アルタイの祖先」を探して、定期的に中央アジアのシルクロードの遺跡に沿って旅行する。崔南善は、申采浩の領土に対する方式で書いて、朝鮮は中央アジアの中に深くに拡がった「不咸文化」の中心であると主張した。崔によると、世界はインド·ヨーロッパ、中国、「Părk」文化(不咸文化圏)に分けられるが、最後のものは神道に似た朝鮮の宗教でカスピ海から黒海、天山山脈、アルタイ山脈を経て、朝鮮、日本、沖縄に広がっている。崔は、この超文化の中で檀君が普遍的に崇拝されたと主張した。しかし、チズコ・アレン(Chizuko Allen)によると、崔は、朝鮮、中国、日本以外には、どの国の地域文化も調べておらず、地理的特徴の音韻的類似点をこの理論の基礎とした。崔の不咸文化論は、その後、独立運動家で「朝鮮研究運動」の指導者安在鴻により採用されている。
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