勿忘草の花言葉
勿忘草の花言葉の由来
(1)中世ドイツの悲恋物語にまつわる花言葉ある日、ドナウの川沿いを恋人同士が幸せそうに歩いていた。男性は騎士のルドルフで、女性は名をベルタといった。ベルタがふと川岸に目をやると、そこに青くて可愛らしい花が咲いていた。「なんてすてきな花なんでしょう。でも今はあんなに可愛いけれど、あの花もいつかはしぼんでしまうのでしょうね。そして私もいつか年をとってしまうのよ。そしたらあなたは私のことを嫌いになるのでしょう?」と言うベルタにルドルフは答える。「馬鹿なことを言わないでくれ。君に対する愛は永遠なんだ。待っててくれよ、いま君にあの花をプレゼントするからね」。
ルドルフはベルタの制止を振り切って花を採ろうと手を伸ばした。しかし青い花は川面ぎりぎりに咲いており、採れそうでなかなか手が届かない。ルドルフにとってはベルタへの大切な愛の証、何としても摘み取って心からの思いを伝えたい、そう念じながらさらにぐっと手を伸ばし、ついに花をつかんだと思ったその瞬間、ルドルフの身体は急流に放り出されてしまった。しまったと思うが流れは速く、もがいても岸はどんどん遠くなる。「もはやこれまで」と観念したルドルフは最後の力を振り絞り握っていた青い花をベルタに投げて、「僕を忘れないでくれ」と叫んで流れの中に消えていった。
残されたベルタはその後、「忘れないで」というルドルフの言葉に従って恋人のことを思い続け、花が咲くころになると毎年部屋に飾って生涯を送った。後に世の人はこの花を勿忘草と名付け、「真実の愛」「私を忘れないで」という二つの花言葉は、この物語から生まれたとされる。
(2)勿忘草に名前を付け忘れたアダムにまつわる物語
聖書には、名前を付け忘れられた勿忘草の話が残る。エデンの園には美しい花々がいくつも咲いていて、そこで暮らすアダムがその花一つ一つに名前を付けていった。ようやくすべての花々に名前を付け終えてひと息ついたアダムに、かぼそい声でささやくものがいた。「私はまだ名前をいただいておりません。私にはどのような名前をいただけるのでしょうか」。アダムがその声の方を見ると、その足元に、小さな可愛らしい花がアダムを遠慮がちに見上げて咲いていた。アダムは花に気づかなかったことを謝り、こんな可愛らしい花に名前を付け忘れていたなんてと残念がって、もう二度と忘れないようにしようと「勿忘草」と名付けることにした。これが「私を忘れないで」という花言葉の由来の一つになったという説もある。
(3)勿忘草が自分の名前を忘れてしまったという言い伝えにまつわる花言葉
万物を創造する神が、すべての草花を創り終えたとき、それぞれの装いに身を包んだ草花たちが神のもとに参集した。彼らはかしこまって首を垂れ、おそるおそる神に尋ねた。「私どもの名前は何と申すのでしょうか」。神は草花の一つ一つに名前を授けていき、忘れないようしっかり覚えておくようにと申し付けた。草花たちは名前が与えられたことに満足してそれぞれが咲く場所に戻っていった。しかしただ一人、神のもとに引き返して泣いてひれ伏すものがいる。神が理由を尋ねると「私は先ほど、ほかの多くの草花に交じっておりますうちに、自分に付けていただいた名前を忘れてしまったのでございます」。神はその花を憐れんで「嘆かなくてもよい。忘れてしまったのはしかたがない」と優しくいたわった。しかしそのあとに続けて、「ただし私のことを忘れてはいけないよ」と厳しく釘を刺した。勿忘草の花言葉「私を忘れないで」には、こうした由来も伝えられている。
(4)ワーテルローの戦いにまつわる花言葉
1815年にベルギーのブリュッセル近くの村で、ナポレオンがイギリス・オランダ・プロイセンの連合軍と戦火を交えたワーテルローの戦いは、6月18日の開戦からわずか3日間で、双方合わせて12000人~18000人もの戦死者が出たといわれている。この戦いで死んだ兵士の胸から勿忘草の花が芽を出し、倒れた大勢の戦士を忘れるなといわんばかりに、戦場一帯を勿忘草が咲き覆ったという言い伝えがある。「私を忘れないで」という花言葉の由来の一つに数えられている。
(6)勿忘草という日本語訳の根拠にまつわる花言葉
勿忘草が園芸業者の手によってヨーロッパから日本に輸入され、全国に広まったのは明治に入ってからだとされている。英語で「Forget-me-not」と言われるこの花に「勿忘草」という日本語訳をあてたのは、植物学者の川上瀧彌であった。川上はこの翻訳の根拠として、森廣との共著「花」の中で二つの物語を挙げている。一つは中世ドイツのルドルフとベルタの悲恋物語、そしてもう一つが「処女を愛した天使が追放され、女は忘れな草を地の隅々にまで植えなければ楽園に入ることを許されなかったが、天使と処女がその務めを終えて楽園に帰り、忘れな草をまとって女は死せざる人になった」という西洋の伝説であった。苦役に耐えて再び戻る自分を忘れないでいてほしいというこの伝説も、勿忘草の花言葉を彩るエピソードの一つとなっている。
勿忘草の英語の花言葉
勿忘草の花言葉は英語で「true love(真実の愛)」「memories(思い出)」と表す。勿忘草の色別での花言葉の解説
#青色「真実の愛」「誠の愛」神聖で清らかな色として印象付けられる青色は、花言葉の由来の一つとなっているドイツの悲恋物語に登場する勿忘草の色でもある。その言い伝えのとおり、青色の勿忘草には「真実の愛」「誠の愛」という花言葉があてられた。
#白色 「私を忘れないで」
白色が持つ清楚で可憐な印象に加えて、白色の勿忘草は青やピンクの花と比べて数が少なく見る機会も限られてくることから、花言葉には「もし見かけたら私を忘れないで」という意味も含まれているとされる。
#ピンク色 「真実の友情」
見る者にあたたかい印象を与えるピンク色の花は、人への思いやりの気持ちの象徴として「真実の友情」という花言葉を与えられている。
#紫色「真実の愛」「私を忘れないで」
紫色には色別の花言葉は特に付けられていない。その一方で勿忘草の全般的な花言葉をあてる場合もある。
勿忘草の本数別での花言葉の解説
勿忘草については、本数別の花言葉が特に定められていない。勿忘草の怖い花言葉
勿忘草には基本的に怖い意味の花言葉はつけられていないが、「私を忘れないで」という花言葉について、近現代史の怖いエピソードと深いかかわりがあることから、怖い花言葉があるというイメージがついてしまったものと推測される。そのエピソードとは、1915年に起こったオスマントルコ帝国によるアルメニア人の大虐殺事件をさす。およそ150万人が犠牲になったと伝えられるこの事件は、凋落傾向にあった当時のオスマン帝国が、独立意識を強め始めた少数民族のアルメニア人に対して警戒感を強め、独立運動に指導的な役割を果たしていた知識人グループを強制連行したことに端を発する。弾圧は徐々にエスカレートして各地に広がり、国内の至る所で虐殺が繰り広げられ始めたほか、帝国外への強制退去を命じてシリア砂漠への行進を強いた。その途上で大勢のアルメニア人が殺戮され、餓死や病死による死体の山が累々と築かれていった。この一連の事件はアルメニア人ジェノサイドと呼ばれ、事件発生後100年を経た2015年4月24日には、アルメニア人が世界中からトルコのイスタンブールに集まり、大規模な追悼集会を行った。追悼のスローガンは「忘れない、そして求め続ける」であり、追悼のシンボルとしてその花言葉にゆかりの勿忘草が定められることになった。花の中心は弾圧を受けた過去の苦しみを象徴する黒い点で表され、花びらは現在の団結を象徴、葉は未来を象徴するものとしてデザインされた。
※ 花言葉の内容は諸説あります。
- 勿忘草の花言葉のページへのリンク