初代東日本フェリー
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「東日本フェリー」の記事における「初代東日本フェリー」の解説
1965年3月22日:青森側で海峡フェリー参入をめざし設立した青道フェリーと航路権を持つ道南海運が競合、最終的に北海道と青森県の両知事の斡旋をうけ会社一本化 され、(旧)東日本フェリー(本社:函館市仲浜町)を設立。 4月:青森商船が、三厩 - 福島間にフェリー就航。 4月27日:青森フェリーが道南海運に営業権を譲渡。 6月15日:道南海運から大間 - 函館間一般旅客定期航路事業とフェリー「大函丸」を譲受、認可を得て営業開始。 1967年4月28日:陸奥湾内で旅客航路を運営していた、青森商船を買収。 5月1日:青森商船から三厩 - 福島間の一般旅客定期航路事業とフェリー「まつまえ」、貨客船「第二八千代丸」を譲受。 5月20日:道南海運、室蘭 - 青森航路を開設。 6月:国鉄の青函連絡船による自動車航送計画の発表に対抗し東日本フェリー、道南海運、青森商船のフェリー三社が計画中止の嘆願書を提出。 12月:国鉄の青函連絡船自動車航送計画に東日本フェリー・道南海運・青森商船が同意。翌年6月1日より、津軽丸型客貨船にて自動車航送を開始した。 1968年4月1日:道南海運から青函丸・青蘭丸・せいらん丸・さっぽろ丸・第三歓栄丸を譲受、函館 - 青森・室蘭 - 青森航路の事業を継承。津軽海峡のフェリー航路の一本化を完了。 6月20日:函館市末広町に本社ビル・旅客ターミナルビルが完成。フェリーの発着が末広町岸壁になる。 1969年4月30日:函館 - 野辺地航路が認可。7月に野辺地ターミナルが完成し就航。 7月20日:野辺地港ターミナル完成。 7月30日:函館 - 野辺地航路運航開始。 1970年室蘭 - 大間航路を開設。 6月30日:函館市港町に七重浜ターミナル施設と岸壁が竣工し、函館 - 青森航路および函館 - 野辺地航路の発着ターミナルとする。のち、同所に本社移転し函館 - 大間航路の発着も集約。 1971年4月:函館商船 が函館 - 野辺地航路を開設。北浜埠頭(現:北埠頭)と野辺地にそれぞれターミナルを建設し、1,500総トンのフェリー2隻を就航。 7月1日:戸井 - 大間航路運行開始。 1972年1月14日:中長距離航路化に対応する関連会社「新東日本フェリー」を設立、苫小牧 - 仙台・苫小牧 - 鹿島航路を計画。 2月23日:トラック航送に対応する関連会社「道南自動車フェリー」を設立。 7月5日:シルバーフェリーと苫小牧 - 八戸航路の共同運航協定を締結。 12月:フェリー事業への集中のため内航貨物輸送部門を廃止。 1973年12月16日:新東日本フェリーが、苫小牧 - 仙台航路を開設。隔日にて運航開始。新東日本フェリー発足後、東日本フェリー航路の愛称を7つの航路数から「レインボーライン」、新東日本フェリー航路の愛称を仙台七夕祭りや北海道・航海が星に縁が深いことから「スターライン」とした。 1975年3月20日:札幌市に営業本部を設置、営業中枢機構を移転。 8月11日:苫小牧 - 八戸航路開設。 1976年5月18日:オイルショック後の需要減により経営難に陥った函館商船は、函館 - 野辺地航路を(旧)東日本フェリーに譲渡。 6月2日 函館に自社船との無線連絡用に民間企業では初のVHF専用波の基地局を設置。。 10月21日:函館本社を七重浜ターミナルに移転。 1977年3月20日:管理部門を札幌本社に集約。 1978年3月27日:函館本社新築を含む函館七重浜ターミナルの増築竣工。 10月1日:室蘭港フェリーターミナルを入江地区に移転。 1979年10月3日:室蘭 - 八戸航路を開設。 1981年5月25日:札幌市に蔦井グループ各社が入居する9階建てビル「蔦井ビル」竣工、同ビルに本社移転。 1984年10月26日:新東日本フェリーの苫小牧 - 仙台航路を譲受、同社を解散し航路運営を一元化。 1985年3月16日:室蘭 - 大洗航路を開設。 1990年4月1日:CI・シンボルマーク制定、東日本の「H」をモチーフとしてメインカラーにインテリジェンス・ブルーとサブカラーに宇宙の神秘をイメージした深青の配色とした。 7月19日:岩内 - 直江津 - 室蘭の日本海航路を開設。 10月14日 - 函館港ジェットフォイルターミナル完成。 11月13日 - 函館 - 青森航路にジェットフォイル「ゆにこん」就航。 1991年9月21日:ハヤシマリンカンパニーとの合弁で直江津-博多航路に対応する関連会社「九越フェリー」を設立。 11月:室蘭 - 大間航路を休止。 12月12日:室蘭 - 大畑航路開設。 1994年4月6日:函館 - 野辺地航路を休止。 4月19日:室蘭港新フェリーターミナルが完成。 1998年4月:室蘭 - 大畑航路を休止。 9月:室蘭 - 直江津航路を博多に延航。 2000年1月18日:岩内 - 直江津航路を休止。(運航自体は1999年11月20日より冬季休止) 4月1日:苫小牧 - 仙台航路を休止。 2001年1月1日:燃料油価格変動調整金を導入。 9月1日:燃料油価格変動調整金を廃止。 2002年3月4日:大洗 - 苫小牧航路での共同運行を視野に商船三井フェリーと提携検討を合意。 6月3日:室蘭 - 大洗航路を休止し、商船三井フェリーとの共同運航航路として苫小牧 - 大洗航路を開設。「ばるな」が商船三井フェリーへ裸傭船され、商船三井フェリー75%・東日本フェリー25%の運航分担とする。
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