初代校長・結城三郎とは? わかりやすく解説

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初代校長・結城三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:09 UTC 版)

札幌市立盤渓小学校」の記事における「初代校長・結城三郎」の解説

盤渓小学校独立開校した1922年大正11年当時盤渓集落琴似村役場から山道を8キロメートルもたどらねばならない僻地であり、教員確保して早い者は2か月逃げ出す有様だった。そのような中で、6年にわたり当地での教育携わってきた結城三郎初代校長内示受けたことは、村人たちにとっても喜ばしいことであった同年12月21日開校式を3日後に控え羽織袴正装まとった結城は、琴似村役場にて辞令教育勅語受け取った役場出たのは午後2時で、日没午後4時であるから明るいうちに盤渓帰り着くことは無理である。途中立ち寄った円山定松商店宿泊勧められるが、結城は「畏れ多い『お勅語』を民家にはおけない」という理由断り提灯借りて先を目指した。 気温氷点下7度風速7メートルという悪条件の中、なんとか幌見峠越えた結城が、峠下久保田家2本目ロウソク点火してもらったのは午後10時半ごろのことであった。だが、そこから1キロメートルほど進んだあたりで力尽き翌朝雪の下遺体となって発見された。享年42教育勅語はその胸に抱かれ無事だった結城正式に校長として着任できなかったため、1960年昭和35年)に開かれた開校50年記念式典の際も校長として取り上げられなかった。恩師扱い驚いた教え子たちは「結城先生復活」を呼びかけ運動支持された。盤渓小学校グラウンド東端、山の斜面とぶつかるあたりに、高さ1.5メートルの「あゝ結城先生」碑が建てられたのは、1964年昭和39年5月17日のことである。

※この「初代校長・結城三郎」の解説は、「札幌市立盤渓小学校」の解説の一部です。
「初代校長・結城三郎」を含む「札幌市立盤渓小学校」の記事については、「札幌市立盤渓小学校」の概要を参照ください。

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