初代校長・結城三郎
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「札幌市立盤渓小学校」の記事における「初代校長・結城三郎」の解説
盤渓小学校が独立開校した1922年(大正11年)当時、盤渓の集落は琴似村役場から山道を8キロメートルもたどらねばならない僻地であり、教員を確保しても早い者は2か月で逃げ出す有様だった。そのような中で、6年にわたり当地での教育に携わってきた結城三郎が初代校長の内示を受けたことは、村人たちにとっても喜ばしいことであった。 同年12月21日、開校式を3日後に控え、羽織袴の正装をまとった結城は、琴似村役場にて辞令と教育勅語を受け取った。役場を出たのは午後2時で、日没は午後4時であるから、明るいうちに盤渓に帰り着くことは無理である。途中立ち寄った円山の定松商店で宿泊を勧められるが、結城は「畏れ多い『お勅語』を民家にはおけない」という理由で断り、提灯を借りて先を目指した。 気温は氷点下7度、風速7メートルという悪条件の中、なんとか幌見峠を越えた結城が、峠下の久保田家で2本目のロウソクに点火してもらったのは午後10時半ごろのことであった。だが、そこから1キロメートルほど進んだあたりで力尽き、翌朝に雪の下で遺体となって発見された。享年42。教育勅語はその胸に抱かれて無事だった。 結城は正式に校長として着任できなかったため、1960年(昭和35年)に開かれた開校50年記念式典の際も校長として取り上げられなかった。恩師の扱いに驚いた教え子たちは「結城先生復活」を呼びかけ、運動は支持された。盤渓小学校グラウンドの東端、山の斜面とぶつかるあたりに、高さ1.5メートルの「あゝ結城先生」碑が建てられたのは、1964年(昭和39年)5月17日のことである。
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