初代校舎
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「青森県立青森高等学校」の記事における「初代校舎」の解説
1950年(昭和25年)頃に完成。2階建ての7つの棟が並んだ作りであった。1968年(昭和43年)の十勝沖地震での被害、1969年(昭和44年)の洪水による水没、1970年(昭和45年)の火災による一部の燃失から新校舎への移転を余儀なくされる。
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初代校舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:53 UTC 版)
1887年(明治20年)に完成。両翼にあった平屋の木造校舎は取り壊され、本館のみが現存する。2代目校舎(旧校舎)の北側400m、唯念寺と古川鉄治郎の墓地に隣接する芙蓉園の中にあるが、旧中山道に面していないこともあり認知度は低い。テラスを備えた和洋折衷建築が特徴で、1階部分が講堂だったが、新校舎の竣工に合わせてヴォーリズ建築として教職員住宅に改造された。以降は明治20年頃の様相を伝える建物として地元で活用されてきた。 2007年に登録有形文化財に登録されている。 2013年(平成25年)から財団法人芙蓉会により調査・耐震診断ならびに明治期の姿に復元する実施設計が行われ、文化庁の補助6000万円を受け、2016年(平成28年)から改築工事に着手。明治期の写真や資料を活用し、窓の開き戸式の扉(唐戸)やバルコニーなどを復元整備するなど建造当初の姿に再現された。2019年5月12日に復元工事が竣工、『薩摩治兵衛記念館』としてリニューアルオープンした。。
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