初代校長・瀧澤又市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:17 UTC 版)
「神奈川県立横浜翠嵐高等学校」の記事における「初代校長・瀧澤又市」の解説
瀧澤は「人間はあるがままに伸びよ」という教育理念に基づいて、「平凡主義」を説いた。本校以前に瀧澤が校長を務めた福井県立大野中学校(現:福井県立大野高等学校)の思い出を語る中で、次のように述べている。 「自分は此亀山に登って、先ず今後の教育指導の大方針を練って見た。此閑寂な田舎町、伝統的旧習の多い事であろう其良習美俗は飽くまで維持し助長すると同時に、最新の帝都文化の美点長所を移植して見やう。即ち剛健質実、勤倹力行の輪郭に最も進歩的な積極的な文化の程度と施設とを与ふる事にしやう。又狭い所だけに感化力刺激性は偉大であるから、一挙手一投足も粗末にせず、勉めて人格の涵養、品性の陶冶に主力を注ぐ事に致さう。秀才教育よりも偉大な平凡主義を採らう等々、種々なる指導精神が浮んで来た。…自分が烏滸がましくも、偉大な平凡主義を考察し始めてから一年程たった或日、福井新聞の投書欄に次のような学校短評が出た。「福井中学生は悧巧だ、武生中学生は乱暴だ、大野中学生はウスノロだ」と云うのであった。自分は此ウスノロを頗る興味ある事に感じ、又平凡主義を発表するに絶好の機会と思ひ、右の投書を切っかけに全校生を集めて我が平凡主義を大に説明し大に強調した次第であった。爾来校外にて講演を頼まるる場合には、ウスノロジー主義と云ふ演題を掲げて平凡主義や大器晩成論、鈍重成功談などを振り廻す様になり、目から鼻に脱けると云ふ横浜に来てからも、大都市青年の軽佻浮薄、才走った小悧口さ、度胸と意欲とに缺けた点を警醒するため、折々此ウスノロジー主義を宣伝した事もあった。」 — 『福井県立大野高等学校八十年史』より
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