初代橋の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:23 UTC 版)
「大正橋 (大阪市)」の記事における「初代橋の問題点」の解説
ところが、初代大正橋は架橋後に色々な問題が発生した。まず、この橋が揺れやすいことが露見し、さらにアーチ部の変形が生じ、その変形が次第に大きくなっていった。当時は日本で国産の鉄橋が架けられるようになって間もない時期であり、明確な設計基準もなかった。のちに各種応力計算・測定を行った結果、明らかに強度不足であると判明した。 初代大正橋は2ヒンジアーチと呼ばれる構造を採用していた。右図に示すように、両橋台の支点2箇所にヒンジを有する構造であり、橋の自重や通過車両などの荷重により、アーチが外側に開こうとする水平力が橋台の支点部に作用する。したがって、橋台やその基礎は水平力に耐える強固な構造を必要とし、一般には強固な岩盤が支持地盤として求められる。しかしながら、本橋は沖積平野に位置し、強固な岩盤を得られなかった。このため、アーチから作用する水平力に橋台が耐え切れず、支点(橋台)が移動しアーチが開いていってしまった。2ヒンジアーチでは、支点の移動が起こるとアーチに不利な力が作用し、益々アーチの耐力が低下していった。 この初代大正橋の失敗を受けて、後の1930年に大阪市内に架けられた桜宮橋は、アーチ支点が移動しても不利な力が作用しない3ヒンジアーチ構造が採用された。さらにその後、地盤の軟弱な地域に架けられるアーチ橋は、水平力をタイと呼ばれる部材で結び、支点に水平力が作用しないタイドアーチを基本とする構造が一般的に用いられるようになった。一方で、2ヒンジアーチは強固な岩盤を有する山岳部の橋梁などに限定して用いるようになった。 初代大正橋の変形は、第二次世界大戦後さらに酷くなり、支間は45 cm広がり、頭頂部は50 cm低くなった。そのため、車両が通行しない状態であっても、アーチ部材は降伏応力(部材が破壊に至る状態)に近い値を示す、危機的な状況に陥った。そこで、橋の軽量化や補強など、様々な補修・延命策が講じられた。
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