分割論が存在する地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:06 UTC 版)
1876年(明治9年)に大規模合併が実施された県では分割運動が起こって再度分割された県も存在するが、1888年(明治21年)末に香川県が愛媛県から分離されて以来、都道府県の分割は実施されていない。 しかし今もなお、都道府県の分割を求める声が市町村長や都道府県知事やネット上などで見られる。ここでは、市町村長や都道府県知事が県の分割や分離を示唆している都道府県を挙げる。 福井県 2006年(平成18年)3月上旬に、嶺南(若狭地方)に当たる敦賀市や小浜市の市長が「(もし道州制が敷かれる際に、)嶺北(越前地方)が北陸州へ入るなら、嶺北とは縁を切っても近畿州へ入る」と発言し、嶺南の福井県からの脱退を示唆している。 「日本の道州制論議#北陸」も参照 長野県 筑摩県が分割されて長野県に編入されて以来、分割を求める動きが度々出ている。両県の合併後、県内地理教育唱歌として作られた「信濃の国」が事実上の県歌として広く歌われ、県民意識統合の象徴とされた(1968年、正式に県歌として制定)。 「長野県#地域的特徴」も参照 山口県下関市、福岡県北九州市 関門海峡の両岸に位置する下関市と北九州市が合併して、山口県や福岡県、さらには道州制の州にも属しない「関門特別市」を結成する動きがある。 「道州制#各地別の論議」も参照 兵庫県 五畿七道(五畿八道)のうち畿内・山陰道・山陽道・南海道に跨り(47都道府県中最多)、令制国では摂津国・丹波国・但馬国・播磨国・美作国・備前国・淡路国の7ヶ国に跨り(北海道の11ヶ国に次ぐ)、それぞれ異なる歴史や風土を持っているために分離論がある。7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家と形容された「ユーゴスラビア」になぞらえた「ヒョーゴスラビア」という渾名さえある。 北海道 「北海道#分県構想」も参照 北海道は、九州7県や東北6県よりも広大だが、北海道知事は一人しかいない。「知事一人では広大な北海道の地域の課題に目が行き届かない」「県庁と市町村の距離が短くなり、地域の実情に合った弾力的な行政対応ができる」として、複数の県に分割する構想が出ている。2016年(平成28年)1月7日の毎日新聞で、北海道議会の「自民党・道民会議」が私的機関「北海道分県研究会」を設立し、道を複数の県に分ける「分県」案についての議論を開始したと報じられた。8月10日の北海道新聞で、同研究会のまとめた報告書の素案が報じられ、「北海道分県研究会」会長の喜多龍一道議が内容を公表している。研究会では、病院・診療所などの医療機関や大学・短大など教育機関の約4割が札幌市にあるなど、経済・行政・文化的機能が一極集中している現状を改善することを目指している。研究会の参加メンバーからは、北海道新幹線を九州新幹線と比較すると、九州では知事7人が連携したためすぐ伸びたとの分析があり、北海道新幹線がなかなか伸びないのは、知事が1人だけしかいないせいではないかという意見も出ており、発言力の弱さが指摘されている。研究会会長の喜多龍一道議は、「九州には7人の知事、県議会議長、経済団体トップがいる。まとまって動いた時のパワーを想像してもらいたい」と述べており、分県によって知事・県議会議長・経済団体トップが増えることで、北海道の全国的な存在感が高まるという。 当初は「札幌県、函館県、釧路県、旭川県」の4分割案と「道南県、道央県、道北県、オホーツク県、十勝県、釧路・根室県」の6分割案が出ていたが、「県の自立力保持」の観点から難しいと判断された。共同通信の報道によると、研究会は、2016年11月11日、「道央県・道南県、道北県、道東県」の3分割案(必ずしも振興局単位の分県になるとは限らない)と「道東県とそれ以外」の東西2分割案を盛り込んだ報告書を高橋はるみ知事(当時)に提出した。分県には住民投票で道民の過半数の同意を得て、特別法を制定する必要がある。かつて北海道では、1882年(明治15年)2月8日の開拓使廃止から1886年(明治19年)1月26日の北海道庁設置まで、「札幌県、函館県、根室県」の3県と農商務省北海道事業管理局が置かれた三県一局時代があった。
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