出家を巡る家族と教団の攻防とは? わかりやすく解説

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出家を巡る家族と教団の攻防

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:25 UTC 版)

土谷正実」の記事における「出家を巡る家族と教団の攻防」の解説

周囲借金をしたり、学習塾講師家庭教師立場利用して教え子中高生数人オウム真理教に入信させたりと、他人に迷惑をかけるようになった土谷入信させた高校生の親から抗議受けた両親1991年7月13日話し合いをするためにアパート訪れた。しかし居留守使われて会うことはできず、父親名義土谷の車を廃車処分にして生徒の親相談翌々日に「現代お助け寺」として知られる茨城県更生施設「仏祥院」に脱会依頼7月19日未明土谷を車から引きずり下ろしてマイクロバスに連れ込み仏祥院の独居房反省室」に監禁した元信者の永岡辰哉1か月にわたり教義矛盾説いて説得あたったが、「お前たちから学ぶことはない」と聞く耳は持たなかった。 関係者土谷アパート訪れると、冷蔵庫には米と味噌だけで、室内はオウムグッズであふれ、布施のために購入した宝くじ数十預金通帳残高は僅か10円だった。 部屋からは2種類メモ発見された。1通はA4レポート用紙7の「予言メモ」で、麻原話した予言土谷書き取ったものとされ、「1億人総AUMオウム)。1995年にはオウム国家をしのぐほど台頭」、「マイトレーヤ上祐史浩)、尊師代わりに指揮をとる」、「土谷中心になって千年王国を築く」、「土谷92歳で死ぬ」、「19971998年まで日本沈没」などと書かれていた。もう1通に土谷現実的な苦悩書き綴られていた。 「 借金追い回されている。オウム借りている。色々な人を騙して借金しまくっている。自分偽装自分信頼させて入信させる。上から何人入信させろと命令され、棒で叩いて脅される。無免許運転交通事故睡眠時間少ない 」 仏祥院での監禁開始から2週間過ぎた1991年8月6日つくば警察署から土谷実家に、「筑波大学助教授殺人事件捜査のため土谷会いたいので居場所教えて欲しい」という電話掛かってきた。母親居場所伝え同日午後には仏祥院で土谷警察官面会。この時の警察母親電話オウム盗聴しており、土谷が仏祥院に匿(かくま)われていることが突き止められた。 翌8月7日林郁夫井上嘉浩青山吉伸らが仏祥院に現れ土谷会わせるよう要求青山は「私は弁護士だ。会わせないのは違法だ」などと言い井上らは警察官駆けつけるまで居座った8月8日町田実家周辺に「土谷正実くん不法監禁される!」という中傷ビラ撒かれ教団土浦警察署不法監禁訴え出した8月9日になると実家近隣300軒、父親勤務先、仏祥院周辺に「緊急告○○勤務土谷○○父親名)が息子監禁している」などと書かれた中傷ビラ撒かれた。「家に火をつけるぞ」という嫌がらせ電話無言電話かけられ留守守っていた妹が怖がるほどであった中村昇井上嘉浩青山吉伸小池泰男らが街宣車を5台動員して仏祥院に連日押しかけ解放求めた24時間体制張り込み拡声器使って麻原説法オウムの歌「真理たたかい」を朝から晩まで流し続けた説法聞こえてくると、土谷は体を震わせて泣き出したうめき声あげたりした。オウム激し奪還工作続き、(土谷入信させた)学習塾教え子連れてきて「土谷返せば高校生を家に戻す」と交渉持ちかると、「自分オウム戻らないと彼は家に帰れない」と漏らしていたという。土谷両親弟妹生徒の親らの前で仏祥院主宰の合田から「オウムをやめると言わなければ殺すど」、母親から「いえ、私が殺しますと言われた。幼い頃から母親の後ばかりついて回っていた土谷母親の「殺す」という言葉大きな衝撃を受け、「もう帰る場所はない、オウム生きていくしかない」と思いつめた。 オウムは、教団顧問弁護士青山の名で人身保護請求申し立てるという手に出た人身保護請求国選弁護人密かに脱会する気はなく逃げたい」と伝え一方家族らには「オウムをやめたふり」をして8月25日翌日予定されていた人身保護請求裁判備えて両親弟妹および合田夫妻とともにオウムの車の追跡をかわしながら深夜3時半に帝国ホテル到着4時頃、隙をついて母親バッグから現金抜きとり脱走しタクシー世田谷道場逃げ込み端本悟に連れられオウム真理教富士山総本部行って1991年9月5日出家した出家番号953両親と仏祥院は半年渡って毎月3回、「8のつく日」に教団施設訪れ行方を捜し続けたが、再会はできなかった。土谷合田恐れており、探しにくると窓から外を伺っていたという。逮捕後、両親勾留先の築地警察署拘置所面会訪れた土谷はこれを拒み続け公判では「自分判断力のない赤ん坊廃人扱いした両親許さない」と証言するなど骨肉相食む絶縁状態となった。土谷は後に「土谷正実化学兵器合成にかり立てたのは、村井秀夫と佛蓮宗・仏祥院と被害者の会細川政権及び雅子様だ。俺が1か月以上佛蓮宗・仏祥院で監禁され経験と全く同じ経験をしてみろ」と記している。2006年以降洗脳解けたあとに「オウム真理教家族の会」会長永岡弘行や、幼なじみ大石圭通じて家族との和解試みるも、最後までかなうことはなかった。

※この「出家を巡る家族と教団の攻防」の解説は、「土谷正実」の解説の一部です。
「出家を巡る家族と教団の攻防」を含む「土谷正実」の記事については、「土谷正実」の概要を参照ください。

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