出家・柏崎新出の山とは? わかりやすく解説

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出家・柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:42 UTC 版)

貞心尼」の記事における「出家柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)」の解説

彼女が其の中濱薬師堂訪ねた時には、折あしくそこの庵主不在であった。と云って一旦発念した出家の志をそのまま抑えていつまで安閑としているわけにもゆかなかったので、彼女は勧める人のあるにまかせて矢張柏崎郊外下宿村新出(しで)の山というところに庵を結んでいた眠龍、心龍の二人尼僧訪ねて、そこでいよいよ剃髪の身となった。(因にいう、貞心剃髪新田(しで)の山の庵室その後眠龍、心龍の両尼が柏崎釈迦堂移ってからはひどく廃頽して今日ではその跡方もないということである。) 二十五歳の若さで、しかも人並すぐれた美貌持主であった剃髪当時貞心は、とにかく土地人々の噂の種となった師匠命令で山へ採りに行ったりすると、の人達が目をそばだててこそこそ何かささやき合ったりしてかなりうるさかったという話である。そしていつの間に村人達の間に「姉さ庵主あんじゅ)」という仇名さえ云いふらされるようになった此の眠龍、心龍両尼の受業の下に、貞心二十七歳の頃まで苦し修行つづけた。 — 相馬御風 、「良寛愛された尼貞心」『貞心千代蓮月』1930, pp. 2122

※この「出家・柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)」の解説は、「貞心尼」の解説の一部です。
「出家・柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)」を含む「貞心尼」の記事については、「貞心尼」の概要を参照ください。

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