出家・柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)
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「貞心尼」の記事における「出家・柏崎新出(しで)の山(文政五年 25歳頃~30歳)」の解説
彼女が其の中濱の薬師堂を訪ねた時には、折あしくそこの庵主は不在であった。と云って一旦発念した出家の志をそのまま抑えていつまでも安閑としているわけにもゆかなかったので、彼女は勧める人のあるにまかせて矢張柏崎郊外の下宿村新出(しで)の山というところに庵を結んでいた眠龍、心龍の二人の尼僧を訪ねて、そこでいよいよ剃髪の身となった。(因にいう、貞心剃髪の新田(しで)の山の庵室はその後眠龍、心龍の両尼が柏崎の釈迦堂に移ってからはひどく廃頽して今日ではその跡方もないということである。) 二十五歳の若さで、しかも人並すぐれた美貌の持主であった剃髪当時の貞心は、とにかく土地の人々の噂の種となった。師匠の命令で山へ薪採りに行ったりすると、村の人達が目をそばだててこそこそ何かささやき合ったりしてかなりうるさかったという話である。そしていつの間にか村人達の間に「姉さ庵主(あんじゅ)」という仇名さえ云いふらされるようになった。此の眠龍、心龍両尼の受業の下に、貞心は二十七歳の頃まで苦しい修行をつづけた。 — 相馬御風 、「良寛に愛された尼貞心」『貞心と千代と蓮月』1930, pp. 21~22
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