出家以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 16:54 UTC 版)
寛永5年8月3日(1628年8月31日)、義直は政景を通じて義宣から、秋田を離れ高野山へ上ることの許可を得る。寛永15年2月(1638年3月)、落髪染衣して正式に出家し、芳揚軒阿證と号す。後に仁和寺の一品親王覚深に師事し、正保3年2月(1646年3月)に尊寿院号と社地を賜わる。慶安3年(1650年)に佐竹家から200両の合力金を得、翌4年に尊寿院跡地へ堂舎を再興して住職となった。 明暦2年閏4月8日(1656年5月31日)に死去、享年45。正室、子女ともにいない。二十回忌にあたる延宝3年(1675年)に法印号、百回忌にあたる宝暦5年(1755年)に上人号が追贈されている。 尊寿院はその後、阿證の縁により佐竹家から度々寄進を受けている。佐竹家当主が京に滞在する際の宿所になることもあった。
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