作品・受容
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詩の韻律は全て「エレゲイア詩形」であり、他の詩人含む現存する全エレゲイアの最大量を占めることから、代表的なエレゲイア詩人とされる。 当時の詩人では珍しく、まとまった詩集、通称『エレゲイア詩集』が現存している。詩は篇でなく行で数えられ、総計1389行からなる。この詩集は写本の形で中世ビザンツを経て、ルネサンス期の1543年に最初の刊本が出た。しかしながら、他人の詩が多く混入しており、しかも真贋の判別は困難とされる。 後世のギリシアでは、主に饗宴の際、集団の価値観の確認や少年への教訓を目的として、テオグニスの詩が朗誦された。またプラトン、アリストテレス、イソクラテス、プルタルコスなど、様々なギリシア古典でテオグニスが引用・言及されている。詩集に無く引用でのみ伝わる詩もある。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』によれば、アンティステネスにはテオグニスについての著作があったが、現存しない。 19世紀には、ドイツの古典文献学者ヴェルカーが研究を開拓した。これを受けて後述のニーチェも研究した。またチャールズ・ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』で、性淘汰を論じた先駆者として言及した。 パピルス断片も発見されている。
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作品・受容
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「ディオン・クリュソストモス」の記事における「作品・受容」の解説
現存する80篇の作品は、『弁論集』(ロウブ版英題: Discourses)に収録されて伝わっている。そのほか、シュネシオス(英語版)『禿の讃美』所収の『髪の讃美』断片などがある。散逸した作品に、『鸚鵡の讃美』『ムソニウスへの反論』『アレクサンドロスの徳について』『ゲタイ族について』などがある。 『弁論集』第1-4篇を占める『王政論』は、主にトラヤヌスに向けて書かれたと推測され、後世のユリアノスやテミスティオスにも影響を与えた君主鑑的作品である。第11篇『トロイア陥落せず』は、古代に複数書かれたトロイア戦争異説ものの一つで、ホメロスの嘘を暴いてトロイアの名誉を回復するという作品である(当時ホメロスは史実とされており、ローマ人はトロイア人の末裔とされていた)。第53篇『ホメロスについて』では、ホメロスがインドでも翻訳され歌われていると述べるが、これは『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』を誤認したものと推測される。 ディオンは哲学を扱ったが、明確に属する学派は無い。ディオゲネスを複数作品で主役にしているが、犬儒派を信奉していたわけではなく、乞食のように放浪したが、奇矯な行為まではしなかった。ストア派の要素も持つが、属するというほどではなかった。プラトン対話篇を愛読したが、プラトン哲学に強く関心を抱いたわけではなかった。ただエピクロス派だけには冷淡だった。ピロストラトスは『ソフィスト列伝』で、ディオンを「ソフィストと称された哲学者」に分類しつつ、ソフィストと哲学者両方の面を持っており、何と呼ぶべきか分からないと述べた。作品においても哲学と弁論術が融合しており、第22篇では「自分は弁論家ではなく哲学者である」ということを弁論家的に演説している。 ディオンの作品は由緒正しいアッティカ方言で書かれていることもあり、中世ビザンツ帝国に至るまで盛んに受容された。シュネシオス(英語版) は伝記『ディオン論』を著している。フォティオスも伝記を著しており、フォティオスの弟子のアレタス(英語版)は注釈書を著している。テッサロニキのエウスタティオス(英語版)もディオンに度々言及している。ヨーロッパでは、15世紀から『王政論』と『トロイア陥落せず』を中心にラテン語・ギリシア語での出版が行われている。
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作品・受容
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詩集に『雁門集』がある。詩風は元詩の特徴である清新、流麗をよくあらわすと評価される。また、理知的な宋詩の風を脱しむしろ抒情的で唐詩の風があるといわれ、李白など唐代の詩人に影響を受けたとみられる。詞曲、書画にもすぐれ、宮詞の作品も残されている。 その作品は明以来広く流布し、近代の文豪魯迅は『雁門集』を愛読したことを作品中に書き残している。日本にも南北朝時代には早くも紹介されて和刻本も印刷され、よく読まれた。
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作品・受容
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パボリノスの作品は全て散逸している。 弁論作品では、3篇が断片的に伝わり、うち1篇はパピルス文書で伝わる。また『夭折者について』『剣闘士のために』『入浴のために』という題名が伝わる。ディオン・クリュソストモス『弁論集』第37篇(コリント人の銅像撤去にかんする弁論)は、ディオンではなくパボリノスの作品とする説もある。ピロストラトスによれば、流暢な即席弁論やリズム等に秀でていたが、師のディオンの影響は薄かった。 哲学作品では、『ピュロンの方式(トロポス)について』『プルタルコス、あるいはアカデメイア派の性向について』などの題名が伝わる。プルタルコス『モラリア』所収『冷の原理について』や『食卓歓談集』では、パボリノスはペリパトス派・アリストテレス信奉者として扱われている。プルタルコスの著作目録『ランプリアス・カタログ(wikidata)』には、『友愛に関するパボリノス宛の書簡』という題名が伝わる。その他、ガレノス『最良の学説について』からも、パボリノスの哲学が伺える。 パボリノスの『覚書』(Ἀπομνημονεύματα)と『歴史研究雑録集』(Παντοδαπὴ ἱστορία)を、ディオゲネス・ラエルティオスは『ギリシア哲学者列伝』で約50回参照しており、同書の原資料著者で最多となっている。また、教え子のゲッリウス『アッティカの夜』も多くの言説を伝えている。その他、アイリアノスやアテナイオスも情報源としている。 ルキアノスの『宦官』『ヘラクレス』に出てくる人物のモデルとも推測される。
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