主な登山歴とは? わかりやすく解説

主な登山歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:50 UTC 版)

服部文祥」の記事における「主な登山歴」の解説

1993年3 - 4月:知床半島全山縦走単独フリーソロ完登劔岳チンネ中央チムニー、左稜線 谷川岳一ノ倉沢烏帽子奥壁・南稜、変形チムニー滝沢第三スラブ冬季)、南アルプス三峰川支流岳沢など 1996年標高世界第2位のK2登頂 1997年黒部横断大滝尾根冬季第二1998年4月南アルプス甲斐駒ヶ岳黄蓮右俣滑降山スキー2001年正月黒部横断・北薬師岳東稜冬季初登 2002年黒部横断黒部別山中尾根主稜、剱岳八ツ峰II北面滝ノ谷下氷瀑、袖ノ稜冬季初登 2005年北アルプス黒部別山東面主峰ルンゼ滑降山スキー海外登山は、ウシュルバ(ロシア)・アシニボインカナダ)など、スキーツアーでは、カナディアン・ロッキーオートルートアルプス)、ヒマラヤインド)など。

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主な登山歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 07:28 UTC 版)

戸高雅史」の記事における「主な登山歴」の解説

1984年 アンナプルナ峰(7937m) 雪崩により敗退 1987年 デナリ 1990年8月18日ナンガ・パルバット(8,125m) ルパール壁シェル・ルート、無酸素登頂川崎市教員登山隊。 1991年ブロード・ピーク(8,047m) 大雪時間切れにより敗退イエティ同人隊。 1993年7月31日ガッシャーブルムII峰(8,035m) 無酸素登頂チームメンバー小西浩文山野井泰史山野井妙子1994年 - K2(8,611m) 8360mで敗退 1995年7月20日ブロード・ピーク(8,047m) 北峰中央峰~主峰アルパインスタイル無酸素縦走チームメンバー北村俊之服部徹。 秋 カンチェンジュンガ無酸素登頂目指したが、同行メンバー凍傷のため8,400m断念メンバー小西浩文棚橋靖、松原尚之。のちに単独で再アタックするも8,350mで敗退1996年7月29日、K2 南壁ククチカ・ピョトロフスキールート断念後、南東稜に転進し無酸素登頂高所ポーターなしの個人隊。 1998年ポストモンスーン期 チョモランマ北壁ジャパニーズ・クーロワールを7,100m断念後、北壁グレート・クーロワールに転進し8,500mまで。

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主な登山歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:11 UTC 版)

今井通子」の記事における「主な登山歴」の解説

1960年 東京女子医大山岳部入部谷川岳一ノ倉沢衝立岩コップ岩壁連続登攀をはじめ、谷川岳烏帽子奥壁ダイレクトルート初登攀など。 1967年 東京女子医科大学欧州アルプス遠征隊長として渡欧若山美子ザイル組み女性同士パーティとして世界で初めてヨーロッパアルプス・マッターホルン北壁登攀成功1969年 ヨーロッパアルプス・アイガー北壁日本ルート開拓1971年 ヨーロッパアルプス・グランドジョラス北壁登攀。(女性として世界初欧州三大北壁完登者となる)以降都会逃げ込んでいる日本の人々自然と親しんでもらうため現在に至るまで毎年ヨーロッパアルプスをはじめとし、世界各国登山ハイキングカヌーカヤック、ウォーターラフティング、ホースバックトレッキング等、自然の中でアクティビティー体験出来旅行講師務めている。 1975年 ネパールヒマラヤ・ダウラギリIV峰、カモシカ同人隊員及び医師として遠征1979年 ネパールヒマラヤ・ダウラギリIIIIIIV縦走登山隊長として、男性16人を率いてクロス縦走成功させる。7,500m上の三山登頂世界初1983年 中国側チョモランマエベレスト)峰(8,848m)北壁冬季登山隊長として遠征1984年 同隊は、8,100mにて断念1985年 隊長として再度チョモランマ峰北壁へ向かうが、登山隊は8,450mにて断念。しかし、北壁からの冬期世界最高到達地点記録する。(2019年冬期時点でこの記録破られていない1987年 厳冬季に北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国白頭山金剛山妙香山登頂。(建国以来初の外国人隊の記録1987年 秋季標高世界第6位のヒマラヤチョー・オユー峰(8,201m)に中国側より登頂。(通子隊長以下全隊登頂成功。夫、高橋和之山頂からベースキャンプへのパラグライダー飛行成功1989年 アフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)登頂後、山頂よりパラグライダー飛行成功アフリカウガンダ最高峰ルウェンゾリ(5,109m)に登頂する2002年 60歳迎え春季チョモランマ峰へ向かうが、前日高所障害意識不明になった人命救助に借したシェルパ寝不足寒さ訴えたため8,500mにて断念する

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主な登山歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:28 UTC 版)

野口健」の記事における「主な登山歴」の解説

1990年 8月16歳モンブラン(4,810m)登頂ヨーロッパ大陸1990年12月17歳キリマンジャロ(5,895m)登頂アフリカ大陸1992年 9月19歳コジアスコ(2,228m)登頂オーストラリア大陸1992年12月19歳アコンカグア(6,960m)登頂南米大陸1993年 6月19歳マッキンリー(6,168m)登頂北米大陸1994年12月21歳ヴィンソン・マシフ(4,892m)登頂南極大陸1996年 1月22歳エルブルス(4,892m)登頂ヨーロッパ大陸ロシア1996年9月23歳チョ・オユー(8,201m登頂 1999年 5月25歳エベレスト(8,844m)登頂アジア大陸ネパール側 - 七大陸最高峰登頂世界最年少記録樹立当時2007年 5月33歳エベレスト(8,844m)登頂清掃登山チベット側 - ネパールチベット両方からの登頂成功者日本人8人目

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主な登山歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:28 UTC 版)

三枝照雄」の記事における「主な登山歴」の解説

1985年秋 - エベレスト南東ルート登頂。 - 映画植村直己物語撮影隊1987年冬 - アンナプルナI峰登頂 1988年春 - エベレスト北東ルート登頂 1988年秋 - シシャパンマ登頂 1988年秋 - チョ・オユー(西稜ルート登頂

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