中世後期から近世とは? わかりやすく解説

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中世後期から近世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:35 UTC 版)

遠江国」の記事における「中世後期から近世」の解説

室町時代には斯波氏今川氏守護補任される。斯波氏遠江守護の地位得たものの、今川氏遠江回復図り、同じ足利一門である吉良氏遠江国内の要地である浜松荘懸河荘などを支配するなど、不安定な支配続いた戦国時代元来東の駿河国強固な地盤をもつ今川氏斯波氏吉良氏圧倒して領国化した今川氏衰えると、甲斐国武田氏と、今川配下から独立した三河国徳川家康による今川領分割が約され遠江家康領するとされた。しかし今川支配駆逐した両氏はまもなく交戦態となり、山岳部丘陵部侵攻した武田氏支配し家康支配遠州平野掛川地方中心とする平地部限られたこのため家康浜松城築いて居城移し武田氏対峙した。武田軍徳川軍交戦した遠江国の地としては、二俣城高天神城三方ヶ原が有名である。武田軍伊那地方から遠江国に入る際には、兵越峠経由連絡線整備された。 安土桃山時代になると、武田氏滅亡跡に武田領国確保した家康関東八カ国移転し、代わって遠江国には豊臣大名配置され浜松城堀尾吉晴が、掛川城山内一豊転入する江戸時代になると、吉晴松江城に、一豊は高知城移転する。代わって、遠江国には浜松藩掛川藩設置され譜代大名入れ替わり入ったまた、江戸時代には、伊那盆地水窪木材が、天竜川舟運利用して遠江国平野部運搬された。

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中世後期から近世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:42 UTC 版)

パルマ」の記事における「中世後期から近世」の解説

1341年パルマミラノ公国の手中に納められた。1404年から1409年まで短期間のテルツィ家による自治時代の後、スフォルツァ家1440年から1449年まで協力関係にあるパッラヴィチーノ家、ロッシ家、サンヴィターレ家、ダ・コッレッジョ家を通じて支配課した。これらは新たな封建制度一種創設であった市内パルマ領内至る所に塔と城を建てたのである。これらの封土真の独立都市国家へと進化したランディ家が、1257年から1682年までターロ谷を治めた。パッラヴィチーノ家のシニョーリ領主)が現在のパルマ県東部拡大し首都ブッセートとした。パルマ領土北イタリア除き封建的な細分化された封土一部としてさらに近年まで続いていた。例えば、ソリンニャーノは1805年までパッラヴィチーノ家が所有し続けた。またサン・セコンドは19世紀までロッシ家属していた。 14世紀から15世紀パルマは、イタリア戦争舞台であった。フォルノヴォの戦いパルマ領内起きたフランス軍1500年から1521年まで市を占領しその間1512年から1515年短期間教皇庁幕間であった外国人追放された後、パルマ1545年まで教皇領属していた。 1545年当時教皇ファルネーゼ家出身パウルス3世パルマ及びピアチェンツァ教皇領から分離させ、自身庶子であるピエール・ルイージへ公国として与えた。ピエール・ルイージの子孫は、1731年アントニオ・ファルネーゼ男子のないまま死ぬまでパルマ公世襲した。公国2代公爵オッターヴィオ・ファルネーゼの代に強化された。彼はその短く豊かな治世のため、パルマ真の首都として市の構造修繕もした。 1594年パルマ大学強化貴族学校創設法令出された。数年にわたり、戦争貴族らの権力削ぎ続けた1612年、バルバラ・サンセヴェリーノが、パルマ公に対して陰謀謀ったとして6人の貴族とともにパルマ中央広場処刑された。17世紀終わり、パッラヴィチーニの戦い1588年)とランディ戦い1682年)で打ち勝った後、ファルネーゼ家公爵は、全パルマ領をついに手中に納めることになったコロルノのサンセヴェリーノ家の城は、フェルディナンド・ビビエーナによって公家豪華な夏の離宮変えられた。 1731年パルマ及びピアチェンツァ公国揃ってブルボン家の手渡ったイタリアで行われたヨーロッパ王朝政治においてパルマ宗主権外交的に揺り動かされたためであった新たな支配者の下、パルマ衰退直面した1734年パルマ公爵宮殿顕著な美術収集全てが、コロルノサーラ・バガンツァからナポリ移された。 パルマ1748年アーヘンの和約後、フランス影響下に下ったパルマ宰相ギヨーム・デュ・ティロの精力的な活躍近代国家となった。彼は近代工業基盤をつくり、教会特権に対して奮闘した。市は特別に壮麗な時代経験した図書館考古学博物館美術館植物園つくられ同時にジャンバッティスタ・ボドーニによって公家印刷所指揮された。

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