中世後期からフランス革命まで
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「フランスにおけるフェミニズム」の記事における「中世後期からフランス革命まで」の解説
すでに中世後期には女性擁護や男女平等に関する書物が刊行されていた。フランス文学史上初の女性作家とされるクリスティーヌ・ド・ピザン (1364-1430) は、ボーヴォワールが『第二の性』でミソジニー(女性蔑視)を批判した最初の女性として挙げている作家であり、早くも1399年に執筆した『愛の神への書簡』で当時の女性たちが受けた非難・攻撃に反論している。特に物議を醸したのは、寓意文学の傑作『薔薇物語』におけるミソジニーを批判したときのことである。彼女はこの分析をさらに深め、1404年から翌年にかけて「理性」、「公正」、「正義」のユートピアを描いた寓意小説『女の都』、『女性教育のための3つの美徳』を発表した。これを機に、文学作品における女性や男女関係の表象は度々論争を巻き起こしたものの、ピザンはむしろ例外的であり、この後、女性問題を取り上げた著述家としてしばしば名前を挙げられるのは、モンテーニュの「義理の娘」マリー・ド・グルネー(フランス語版) (1565-1645) である。彼女は、主に『男女平等』(1622年)、「女性の不満」(1626年) で女性の教育・職業参加、とりわけ、知的活動における男女の協力の必要性を訴えた。 一方、男性作家・哲学者のフランソワ・プーラン・ド・ラ・バール(フランス語版) (1647-1725) は、1673年に発表した『両性平等論』でデカルトの精神(魂)と身体の二元論を批判し、魂には性別による差はない、男女の差は従来の慣習と教育によると主張した。 この他、フェミニズムの先駆けとして、フランス以外では、16世紀のハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ (1486-1535、現ドイツ) の『男性に優れる女性の高貴さと卓越性について』、モデラータ・フォンテ(英語版) (1555-1592、現イタリア) の『女性の価値』、また、女性の地位向上につながる書物を著した17世紀の女性作家としては、ハナ・ウリー(英語版) (1622-1675、現イギリス)、マーガレット・キャヴェンディッシュ (1623-1673、現イギリス)、ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス (1651-1695、現メキシコ) などが挙げられる。
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