寺社の油需要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 15:21 UTC 版)
中世日本において油は、主として照明用の灯油として用いられ、その他に雨具の塗油や食用などの用途があったが、主用途としての灯油の最大の需用は寺社の灯明用にあった。古代以来、寺社領としての封戸からの納入品や、荘園からの年貢という形で灯油を徴収していたが、やがて需要が高まるにつれ、十分な量を確保する必要性から、支配下の寄人・神人らに製造・仕入れをさせることで、安定的な調達を確保するようになる。このような経緯から、大寺社に所属する寄人・神人から構成される油座が、平安時代後期から各地に出現するようになった。この時期に成立したものでは、醍醐寺三宝院や博多筥崎八幡宮の油座が有名である。 油の原料としては、荏胡麻、胡麻、海石榴(ツバキ)、魚脂などがあったが、なかでも荏胡麻が主要原料であった。荏胡麻は古代には主に食用として用いられることが多かったが、種子から油を取る方法が開発されたのに伴い、製油を目的に栽培されるようになったものである。なお中世後期から近世にかけて油の原料として新たにゴマ、綿実、菜種などが加わり、油そのものの用途も多様化していく。
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