不振のシーズンとは? わかりやすく解説

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不振のシーズン(1991年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「不振のシーズン(1991年)」の解説

1991年シーズンからはグループC新規定が施行され新型車のメルセデス・ベンツ・C291投入した。しかし、この新型車は完成度低くこの年前年までとは一転して陰鬱なシーズンとなった開幕戦鈴鹿サーキット)の予選ポールポジション獲得したジャガー・XJR-14から3.8秒も離されるような状態で、速さ欠けるだけでなく、序盤の数戦は決勝信頼性不足で完走すらおぼつかないレース続いたこの年全体通して失意しかないものとなったが、ジュニアチーム伸長著しく最終戦オートポリス)ではヴェンドリンガーとシューマッハ若手同士で組ませた2号車望外勝利を遂げたC291の開発 詳細は「メルセデス・ベンツ・C291」を参照 C291では、レオ・レスによる車体設計は成功作であるC11から根本的な変更はされず、この車両では主にエンジンとその周辺が変更された。車体の大きな変更としてはラジエーターの搭載位置が変更され、C8以前と同じサイドラジエーターになった。C9とC11で用いたフロントラジエーターは重量配分の改善には効果があったが、冷却水の入った配管を車両の前部まで伸ばす必要があり、重量が増えてしまう不利があったためこの変更が行われた。フロントノーズ部は、ラジエーターをなくした代わりにウィングが設置されてダウンフォースを生み出すとともに、コクピット脇前部に設けられたラジエーター吸気口への整流の役目を担っている。 ターボエンジン搭載車のC11ではエンジンへの吸気はボディ表面のNACAダクトのみで行われていたが、自然吸気エンジンに変更されたC291では、NACAダクトでは充分なラム圧を得られないことが最初の車が完成してから判明したため、左右のコクピットドア後方に大きなダクトが追加されている。 異形のM291エンジン 1991年から始まる新規定では従来存在した燃費についての規制なくなり、F1と同じ排気量3,500ccの自然吸気エンジンとすることが定められたため、それまで排気量5,000ccのツインターボエンジンを使用していたメルセデス・ベンツ車両エンジンについて大きな変更を必要とした。 メルセデス・ベンツグループCエンジンそれまで市販車用のエンジンベースしたものだったが、新規定への対応を機にレース専用エンジンとしてバンク角180度のV型12気筒エンジンのM291エンジン新たに開発された。メルセデス・ベンツが(市販車用からの転用ではない)レース専用設計したエンジン投入するのは1954年のM194エンジン以来のことだった。バンク角を180度としたのは、全高抑えて重心低くすることと、車体後部底面幅の広いディフューザーを置くためである。バンク角の狭いV型エンジンとした場合エンジン全高高くなり、車体底面ディフューザー左右に分割されてしまうことになるが、バンク角が180度で全高の低いエンジンであれば車体底面をより平坦に設計できるため、幅の広いディフューザー設置することができる、という目論見だった。 しかし、このコンセプト通常エンジン下方向伸ばす排気管や、エンジン後部接続するギアボックス設計に困難を強いることになる。 このエンジンもうひとつ特徴は、エンジンヘッドシリンダー一体化させたモノブロック構造となっている点である。この構造ガスケットからの漏れを防ぐために導入された。それは12気筒3気筒ずつ分割し、4基のモノブロックで構成されていた。鋳造作られたこの部品多くトラブル引き起こすこととなり、対策として大量に作ったモノブロックの中から良品のみを選別してレース使用することになり、この年だけで200基のモノブロック(エンジン50基分)を作ることになったデビュー当初出力公称値600馬力で、これはライバルであるプジョー・905 Evo 1 bis670馬力)やジャガー・XJR-14650馬力)に後れを取るのだったが、シーズン終盤には出力の点ではプジョー追い付いていたとされるトランスミッションは、ザウバーメルセデス・ベンツグループCカーとしては初めて、シーケンシャルシフト採用された。 C11再登場 元々の計画では、スポーツカー世界選手権は、1991年から排気量3,500ccの自然吸気エンジン搭載したグループC新規定」の車両のみで争われるうになるはずだった。しかし、それだけでは参加台数確保できない判断したFISAは、前年までの旧規定車両を「カテゴリーC2車両として参加させることを認めた。 「C2」の車両には、新規車である「C1」の車両以上に活躍してしまわないよう、最低重量燃料使用量などでハンデ課されていたため、ザウバー・メルセデス当初選手権の「短距離レースC11使用する予定はなかった。しかし、C291開発思ったように進まなかったために、序盤戦ではシュレッサーとマス組んだベテラン組(カーナンバー1)は万全を期して旧型C11使用し、ヴェンドリンガーとシューマッハの「Lチーム」(カーナンバー2)は新型C291使用するという布陣になったC291選手権500弱で争われるレース用に開発されているため、ル・マン24時間レースの距離には対応しておらず、ザウバー・メルセデスル・マン決勝レースは3台のC11戦った。これは当初から予定されいたもので、レオ・レスル・マンのために1991年C11開発C291並行して行った戦闘力健在ル・マン予選では最速タイム記録したものの、カテゴリーC1規定車両優先する規則のため、決勝11番手からスタートした終盤までレースリードしたものの、最後エンジントラブルによりリタイアしている。 撤退 不振終わった1991年雪辱を果たすべく、ザウバー1992年シーズン用にC292の開発進めたが、1991年11月28日メルセデス・ベンツ翌年世界選手権参戦しないことを発表しスポーツカーレースから撤退した1991年開発の年という位置付けであり、同年不振撤退判断にあたってそれほど重要なことではなかった。最終戦開催され10月末の段階FISA翌年スポーツカー世界選手権開催カレンダー発表できておらず、選手権先行き不透明だったこと、ダイムラー・ベンツグループ企業であるAEG経営合理化のため、大規模な人員整理必要になったこと、このふたつが撤退理由とされるこの年ザウバーメルセデス・ベンツではF1参戦向けた計画密かに進められていたが、後者理由により、メルセデス・ベンツがF1参戦しないことも明言された。 この後ザウバーザウバー単独によるF1参戦向けて動き出すことになり、メルセデス・ベンツはそれを側面から支援し、やがて自らもF1復帰へと向かうことになる(詳細は「#F1へエンジン供給」を参照)。 C292に導入するために開発されアクティブサスペンションなどの装備は、DTM車両転用されることになる(詳細は「#クラス1」を参照)。

※この「不振のシーズン(1991年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
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