不振から閉店まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:46 UTC 版)
JR川崎駅東口では、1986年に地下街の川崎アゼリアが開業したのを皮切りに、百貨店やシネコンなどとの競争が激化した。さらに2006年(平成18年)9月に川崎駅西口に大型商業施設であるラゾーナ川崎プラザが開業すると買い物客の流れが西口側に変わり、2006年(平成18年)に約210億円あった川崎店の売上高は、2015年(平成27年)に約106億円に落ち込んだ。 開業当初のポスターには「川崎で都心のお買物」のコピーが見られる高級店であった。2003年(平成15年)9月、同年8月に閉店した川崎西武の33ブランドを含む50ブランドを新たに入居させる改装を行い、若い顧客向けの商品の拡充を図ることで、それまでの中高年層中心であった客層を広げることを目指した。 専門店の導入も当店から先行して始まり、2010年(平成22年)より、洋服のサカゼン、手芸洋品店ユザワヤ、カルディコーヒーファームなどを導入し、売上高こそ減少したものの来店客の増加やテナント賃料による収益改善に至った。 2011年(平成23年)5月に川崎商工会議所と共同で、川崎市内の有名な和洋菓子店やパン屋などを集めたセレクト・かわさきを1階菓匠街に開設したり、川崎市内の餃子店でつくるかわさき餃子舗の会が開発した「かわさき餃子みそ」も販売したりするなど、川崎の名産品の販売にも注力した。 2010年(平成22年)4月末に川崎店の外商が廃止され、6月1日に外商カードを持つ顧客向けのサロンを開設してコンシェルジュが店内での買い物をサポートする仕組みも導入した。 経営再建の一環として、2009年(平成21年)12月9日に約76億円で不動産投資を行うMM投資組合へ売却してリースバックして営業を続ける契約を結んだことが発表され、翌年2010年(平成22年)3月19日に正式に譲渡された。 そのような中、テナント収入を確保するなど川崎店単体では黒字化していたため、定期建物賃貸借契約の延長を申し入れていたものの、2014年(平成26年)4月9日にビル所有者側から定期建物賃貸借契約期間である2015年(平成27年)5月31日に建物の賃貸契約を終了するとの通知がなされた。これによりさいか屋は4月10日に、2015年5月の閉店を発表し、2015年(平成27年)5月31日に閉店した。 2015年(平成27年)6月3日以降は、川崎日航ホテル3階に婦人服等を扱うサテライト型店舗(小型店舗)を開設して営業の一部を継承することになった。(2代目)川崎店参照。 店舗の入っていた建物は、地権者の投資組合が秋から約1年を掛けて解体するとしていたが、2015年(平成27年)10月6日に川崎市に解体工事の中断を伝えたことが明らかになった。その後に工事は再開されて解体され、屋外駐車場としての利用を経て、跡地には「川崎ゼロゲート」(2019年8月8日開業)が建てられた。 なお、川崎鶴見臨港バス(臨港バス)が川崎店近くに設置していた「さいか屋前」バス停留所は、「地域住民への浸透」と改名した場合の経費を理由に、閉店に際しても「当面変更する予定がない」とされ、「川崎ゼロゲート」オープン後の2020年1月時点でもその名称が維持されている。臨港バスは京急グループのバス事業者であるが、京浜急行電鉄がさいか屋支援に乗り出す以前から、地元企業として臨港バスにさいか屋川崎店の車体広告を出していた。
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