不採用、宣伝機へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 00:34 UTC 版)
「He 100 (航空機)」の記事における「不採用、宣伝機へ」の解説
期待通りの高性能を発揮した He 100 の制式採用をハインケル社は確信したが、戦闘機をメッサーシュミット社の専任とする事が空軍省の当時の方針とされていた。また、He 100自体の機体設計も、被弾率の高い主翼を表面冷却器に当てたことが脆弱性を高めることは自明であり、高い失速速度と高翼面荷重、発動機架まで廃止してエンジンをバルクヘッドに直付けするなど「凝り過ぎ」と評された生産性・整備性上の問題点も多く、実用性に対する懸念は当初から強く持たれており、前線で活躍中の Bf 109 の大量産を減じてまで He 100 を並行配備すべきとの積極的な支持が得られず(搭載するDB 601エンジンの生産数が限られていたため、He 100を生産すれば、同エンジンを搭載するBf 109/Bf 110の生産減となる)、それまでの努力は水泡に帰した。 更に、航空省と宣伝省はメッサーシュミット社に速度記録用の Me 209 (Bf 109R) を特製させて He 100 の記録を塗り替え、これを大々的に対外宣伝したのみならず、記録更新を目指したハインケル社に禁止命令を下した。このMe 209は実用戦闘機化が計画され、製作された4号機にあたるMe 209V4はDB 601Aエンジンを搭載し、トラブルの多い表面冷却をやめ、主翼下面に通常型のラジエーターを備え1939年に初飛行した。しかしHe 100とは異なり、元が速度一辺倒で設計された機体だけに実用機として使用するには問題が多く、肝心の速度性能も機体の改修や武装によって機体重量が増加したためBf 109Eを下回るまでになった。そのため今後改善の見込みがないとされ、開発計画は中止となった。結果としてHe 100はHe 177の開発経緯と同様に様々な説が語られている。
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