不振からの脱却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 03:59 UTC 版)
「トロイ・トゥロウィツキー」の記事における「不振からの脱却」の解説
2008年のスプリングトレーニングでは、球場クラブハウス内のトゥロウィツキーのロッカーが部屋の中央に配置された。前年に実質1年目を終えたばかりの若手がこうした扱いを受けるのは異例で、トゥロウィツキーが既にチームの中心選手となったことを表していた。4月1日のシーズン開幕戦には「2番・遊撃手」で先発し、第1打席での二塁打を含む4打数3安打と順調な滑り出しを見せる。だがこの年、トゥロウィツキーは2年目のジンクスに苦しむこととなる。翌2日から4試合連続無安打で、そこから打率1割台と低迷。29日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では1回裏の守備中に左大腿四頭筋を痛めて途中退場し、翌日から故障者リストに入った。さらに、7週間の欠場を経て6月20日に復帰するも、7月4日の試合では苛立ちからバットを叩きつけ、その破片で右手を16針縫う怪我を負ったため故障者リストに戻る羽目に。前半戦は39試合で打率.166・OPS.544という成績に終わる。後半戦は「自分でもよくなっていると思う」と語るように打率.327・OPS.858と復調したが、守備でも「おかしな動きをして足を悪くさせられない」とプレイが抑え気味になるなど、この年は本来の調子からは程遠い状態の1年だった。 このシーズンを74勝88敗と負け越したロッキーズは閉幕後の11月、3選手とのトレードで主砲ホリデイを放出。これにより2009年、監督のクリント・ハードルから、ホリデイの後継となるチームリーダーの役割を求められる。2009年は、ダイヤモンドバックスとの開幕戦でブランドン・ウェブから、翌日の試合ではダン・ヘイレンから、それぞれソロ本塁打を放つという出だし。ただこの年もシーズン序盤は前年同様に打撃不振で、5月27日の段階で打率は.227、OPSは.712であった。この時点で18勝28敗の地区最下位だったロッキーズは29日、ハードルを解任しジム・トレーシーを後任に据える。6月に入り、チームは月間21勝7敗と好転。トゥロウィツキーも、技術面では打撃コーチのドン・ベイラーの指導で前屈みになっていた上体を起こすようフォームを変え、また精神面でも傘下マイナーのメンタルコーチから助言を受けたことなどがきっかけで、調子が上向きになった。6月以降は毎月、月間打率.290以上・月間OPS1.000以上という好調を維持し、最終的にはシーズン打率・OPS・本塁打で自己最高を記録。トレーシーが監督に就任後、74勝42敗のハイペースで勝ち進んだロッキーズは2年ぶりにワイルドカードを獲得しポストシーズンに進んだ。 地区シリーズでロッキーズは、2年前と同じくフィリーズと対戦するが、1勝3敗で敗退し2度目のリーグ優勝はならず。結果的に最終戦となった第4戦では、1点ビハインドの9回裏二死一・二塁という一打逆転サヨナラの場面でトゥロウィツキーに打順が回ってくるが、ブラッド・リッジの前に空振り三振に倒れゲームセット。これによりロッキーズの2009年シーズンが終わった。シーズン終了後のリーグMVP投票では、トゥロウィツキーは5位に。また私生活では、高校時代より付き合っていた恋人のダニルと11月に結婚した。
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