心中
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心中(しんじゅう、旧仮名遣い:しんぢゆう)とは、本来は相思相愛の仲にある男女が双方の一致した意思により一緒に自殺または嘱託殺人すること。情死ともいう。
- ^ a b c 長島淳子『江戸の異性装者たち:セクシュアルマイノリティの理解のために』勉誠出版、2017年、194-212頁。ISBN 9784585221982。
- ^ 被害者に同意の上で殺害した場合には、その罪は刑法202条で6ヶ月以上7年以下の懲役・禁錮と定められており、通常の殺人罪より処罰は軽いが、殺人罪に変わりはない。
- ^ 村井信幸「ナシ族(納西族)」、平凡社『世界大百科事典』の一項目
- ^ 原島陽一「心中」、小学館『日本大百科全書』、Yahoo!百科事典の一項目[リンク切れ]
- ^ a b c d e f 大掛麻央「「『好色五人女』巻四 恋草からげし八百屋物語」の考察」『広島女学院大学国語国文学誌』第39巻、広島女学院大学、2009年12月、41-55頁、CRID 1050858784330579584、ISSN 0288-2078、NAID 120005396580。
- ^ 松村明編「旺文社古語辞典」旺文社、「心中」より
- ^ 杉本つとむ『女のことば誌』雄山閣出版 1975
- ^ a b 松島遊廓の研究法律新聞 1916.9.13
- ^ 森達也『放送禁止歌』知恵の森文庫、2003年、110頁。ISBN 4-334-78225-6。
一家心中
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1973年9月6日午前4時、伊豆半島南端の石廊崎に近い静岡県賀茂郡南伊豆町池野原の奥石廊崎展望台(愛逢岬)下の海岸で子供を含む男女4人の遺体が釣り人によって発見された。警察の捜査の結果、東京都豊島区南長崎3丁目のマンションに住む立教大学一般教育部助教授である大場啓仁(38歳)とその妻のJ子(33歳)、および6歳と4歳の二人の幼い娘であると判明する。飛び降りた20メートル上の断崖には、「大変迷惑ですが、親子4人、この下の淵で投身自殺をしておりますので、お届け下さい」と、身元と現住所を明記した置き手紙が残されていた。自殺の原因は、大場が大学院英米文学科修士課程に所属する教え子のK子(24歳)との不倫関係清算に失敗し、彼女を殺害したことが発覚したためである。 前述のような複雑な家庭環境で育った大場とは対照的に、妻J子は東京都目黒区大岡山の裕福で円満な家庭に育ち、名門である立教大学文学部英米文学科を卒業したが、大場にとっては大学の後輩でもあった。大場は講師だった当時、J子の親からの強い反対を押し切って結婚した。大場は吃音が激しく内向的性格だったが、スマートな風貌と陰翳的な雰囲気から女子学生の人気は高く、結婚後も女性関係をめぐる風聞は少なくなかった。しかしK子との関係は、教員と教え子の「火遊び」では済まないほど深化していた。大場はK子が学部生だった4年前から性的関係を維持している。一方、K子も甲府市の資産家である両親から、早く地元に帰って身を固めてほしいとの要望に反し、大場と付き合うため修士論文提出をあえて延期するほど、大場との関係にのめりこんでいた。既婚の男性教員が女子学生と愛人関係になるのはセクシャル・ハラスメントに該当するが、セクハラという用語が存在しなかった当時においても、大場の情交は懲戒の対象となりえた。 そうしたなか、大場はK子から「妊娠した」と告げられ、関係が冷めた妻との離婚を要求されていた。一方、妻のJ子は大学の後輩でもあるK子と夫の不倫を察知し、密会の現場に踏み込んだり自殺未遂をするなど、大場にK子との関係清算を強く迫っている。こうしたもつれは、殺害されたK子と大場本人、さらにはその家族3名の、合計5名が命を失うという、きわめて陰惨な結末となった。
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