大場啓仁
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大場 啓仁(おおば ひろよし、1935年 - 1973年9月4日)は、日本の英米文学者。元立教大学一般教育部助教授。1973年に不倫関係にあった教え子を殺害後、一家心中した[1][2][3]。
- ^ a b c 小中陽太郎「教え子殺しを招いた助教授の煩悩」『現代の眼』第19巻第8号、現代評論社、1978年8月、142-147頁、NDLJP:1771584/73。
- ^ 伊藤憲子「立大助教授教え子殺人事件」事件・犯罪研究会 編『事件・犯罪大事典 : 明治・大正・昭和』東京法経学院出版、1986年8月、644頁。ISBN 4-8089-4001-9。NDLJP:11896699/329。
- ^ 若一光司「一家心中の背後に隠された『教え子殺人事件』――立教大学助教授・大場啓仁」『我、自殺者の名において 戦後昭和の一〇四人』徳間書店、1990年、137-139頁。ISBN 4-19-554130-1。
- ^ 博士課程の修了は課程博士学位取得を意味するが、現在と違って人文科学系の博士は当時は僅少で、大場も「文学博士」の学位は修得していない。
- ^ a b 警察制度調査会、461-462頁。
- ^ 『読売新聞』1973年9月6日夕刊11面。
- ^ 警察制度調査会、464頁。
- ^ 『読売新聞』1973年9月18日朝刊23面。
- ^ 『読売新聞』1973年9月23日朝刊23面。
- ^ 大場の死後に刊行されたこの書籍は、大場にとって氏名が筆頭で掲載された初の刊行物という学術業績となるが、不倫・殺人・一家心中を犯した「文化英雄」と週刊誌に皮肉を浴びせられることとなる。
- ^ 『新潮45』2005年6月号52ページ、上條昌史 立教大学を震撼させた「大場助教授教え子殺人」事件。
- ^ 事件当時の1970年代前半の日本国内では、学生運動や連合赤軍・日本赤軍に代表される反体制的運動勢力の動きがまだまだ衰えていなかった。
- ^ 『新潮45』2005年6月号51ページ。
- ^ 『読売新聞』1973年9月13日夕刊10面。
- ^ 『読売新聞』1973年9月21日夕刊10面。
- ^ 『読売新聞』1973年10月16日夕刊11面。
- ^ 『読売新聞』1974年3月1日朝刊19面。
- ^ 『読売新聞』1973年9月23日朝刊23面
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