一家斬殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 03:57 UTC 版)
6月15日、鷹丸の妻・歌と子供らは異変を察し、従者8名と共に鷹丸の逃れた鍋倉の家へ向かったのであるが、敢え無く川野らに発見された。川野らは凶徒と化し、鷹丸の妻子へ斬りかかる。鷹丸はこれを阻止すべく川野らへ斬りかかったが、返り討ちにあい逆に斬り殺された。妻の歌は自らの乳児を抱きかかえて逃げるも、追いつかれて斬殺され、乳児も首を切られて殺された。長女は3歳の次男を背負って逃げるところを、重ね合わせて突き殺され、5歳の長男は喉を貫かれて絶命した。 辛うじて生き延びたのは次女の英と三女の時、更に従者のセツの三名のみであった。英は時を逃がすべく凶徒に立ち塞がり、断崖より飛び降りたが木の枝により命拾いし、逃亡する途中で偶然セツと出会う。二人は日が暮れてから小林へ向かい、小林の薩軍により鹿児島の本邸にいた祖父・隆芳の元へ送り届けられた。一方の時も、凶徒に殺されんとした折に薩軍と出くわし、同じく鹿児島へ無事に送り届けられた。 また、鷹丸の従者が川野らの襲撃前に家の裏口より逃れ、小林から霧島を東回りに迂回して鹿児島入りしており、事の仔細は隆芳、並びに鹿児島の薩軍の知るところとなった。一方、鷹丸らを斬殺した川野らは、6月17日に官軍へ投降した。
※この「一家斬殺」の解説は、「大河平事件」の解説の一部です。
「一家斬殺」を含む「大河平事件」の記事については、「大河平事件」の概要を参照ください。
- 一家斬殺のページへのリンク