ヴィシェグラード諸国とは? わかりやすく解説

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ヴィシェグラード・グループ

(ヴィシェグラード諸国 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 21:31 UTC 版)

ヴィシェグラード・グループの参加国(濃青色)とEU加盟国(水色)

ヴィシェグラード・グループ英語: Visegrad Group)またはヴィシェグラード4か国(英語: Visegrad Four)は、中央ヨーロッパの4か国による地域協力機構[1][2]ヴィシェグラード諸国、または頭文字から略してV4と表現されることもある[1][2]

V4は1991年2月15日[3]チェコスロバキアハンガリーポーランドの3か国によって、ハンガリーの都市ヴィシェグラードでの首脳会議において設立された[1]。これら諸国は、伝統・文化的に近縁であることもあって、各国の友好・協力関係を進めること及びヨーロッパ統合の進展等を目的としている[1][2]

チェコスロバキアは1993年ビロード離婚により分離したが、チェコスロバキアの両国ともグループのメンバーとなった[1]。これらの4か国は2004年5月1日に揃って欧州連合に加盟しており[2]NATOブカレスト9の加盟国でもある。

参加国

参加国と各言語での表記は次の通り。

歴史的な由来

ヤギェウォ朝4カ国

1335年ハンガリー王カーロイ1世ポーランド王カジミェシュ3世ボヘミア王ヨハンがヴィシェグラードで会議を持った。これにちなんでヴィシェグラードは1991年の首脳会議の開催地に選ばれ、グループの名前となった。1335年の会議では、ウィーンの特権港を迂回する新しい商業ルートを作り、ヨーロッパ市場へのアクセスを容易にすることが合意された。1335年には何らかの「グループ」が作られたわけではなかったが、1339年の会議ではポーランドの次代の王を選ぶ取り決めが交わされた。

カジミェシュ3世は男子を残さずに没してピャスト朝の本家筋が絶える(分家筋はシレジア地方を中心に17世紀までピャスト家として存続)が、15世紀に入るとピャスト家に代わってポーランド・リトアニア連合の君主を出すようになったヤギェウォ家(もとはリトアニア大公国の大公家)出身の人々が、ポーランドやリトアニアだけでなくボヘミアとハンガリーの王位にも即くようになり、この地域全体の人々がヤギェウォ家を神輿に担いで広大な王朝連合を築いている。

その後1572年に、法的国家連合であるポーランド・リトアニア共和国の成立(1569年)を実現したポーランドのジグムント2世王が男子を残さずに没し、これによってヤギェウォ家の本家筋が絶えるが、ポーランド王国のセイム(国会)がトランシルヴァニア公ステファン・バートリを招き、自由国王選挙の制度をもってポーランド王に据えるなど、これらの国々の政治的交流は非常に盛んであった。一方この時代のボヘミアは、ドイツ系のハプスブルク家の支配下にあった。

経済

ヴィシェグラード・グループの4か国のうち経済危機の状態にあるハンガリーを除くポーランド、チェコ、スロバキアの3か国は、経済規模に対する対外債務総額や、外貨準備に対する短期対外債務とくに実際に借り換えの手続きが必要な債務の割合が非常に小さいなどヨーロッパの「元」共産主義の国々の中ではもっとも経済基盤が強く、2008年から始まった世界的な金融危機においても状況は比較的安定している[要出典]。特に人口が多く内需の強いポーランドの経済は国外発の不況をうまくかわしており、2009年はヨーロッパ諸国のうちで唯一、プラス成長をした[要出典]

議長国

グループの議長国は毎年6月に、チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロバキアの順で交替する[4]

活動

グループの下部組織として1999年に設立された国際ヴィシェグラード基金があり、本部はブラチスラヴァに置かれている[5]。各国首相の決定により、2005年から年間300万ユーロの予算を持つことになった。

ヴィシェグラード奨学金プログラムは、4か国の大学院生の研究に基金からの奨学金を与えており、徐々に規模を拡大している。2005年には、4か国の大学で学ぶ32人のウクライナ人の大学院生にも奨学金を与えた。

2002年、ハンガリーの発案でエネルギーに関する専門家会合が設立された。専門家は年に1、2度4か国の首都で会合を持ち、グループの議長国が会合の議長も兼ねる。2006年4月、会合がプラハで開かれ、閣僚レベルで交渉された事項について4か国のエネルギー相に勧告を出した。

2004年に実現したEU加盟により一時はヴィシェグラード連合の活動が衰えたが、近年[いつ?]は経済や安全保障などにおける連合加盟国のEUにおける協調行動の意義が見直され、その活動は急激に活発化しており、人の交流は非常に盛んである[要出典]。現在[いつ?]は「小EU」的な国家連合の色彩を帯びるほどまでになっている[要出典]

日本との関係

2003年8月の小泉首相によるチェコ及びポーランド訪問、2004年10月のハンガリー首相訪日時に、日本とV4との間で「V4+日本」対話・協力を推進していくことで合意した[6]。また、麻生外相2006年11月に行った講演(「自由と繁栄の弧」をつくる)でもV4との協力が言及されている[7]。さらに、麻生首相は2009年5月にベルリンで行った政策スピーチの中でも、「自由と繁栄の弧」に基づき、V4との協力を強化していく考えを表明した[8]

現在では、外相、高級事務レベルの対話に加えて、観光、経済・投資促進、経済協力等の分野において「V4+日本」協力が進められている[6]2011年には第4回「V4+日本」外相会合が行われており[9]、また2013年6月には安倍首相がワルシャワを訪問し、初となる「V4+日本」首脳会合が行われた[10]

脚注

  1. ^ a b c d e 外務省 (2012年7月). “ヴィシェグラード4カ国(V4)の概要”. 2021年2月23日閲覧。
  2. ^ a b c d About the Visegrad Group” (英語). The Visegrad Group: Czechia, Hungary, Poland, Slovakia. 国際ヴィシェグラード基金. 2024年11月21日閲覧。
  3. ^ チェコ共和国 (2011年6月6日). “チェコ共和国とヴィシェグラード・グループ”. 2016年7月2日閲覧。
  4. ^ V4 Presidency” (英語). The Visegrad Group: Czechia, Hungary, Poland, Slovakia. 国際ヴィシェグラード基金. 2024年11月21日閲覧。
  5. ^ Amendment to the Agreement concerning the establishment of the International Visegrad Fund” (英語). Visegrad Fund. 国際ヴィシェグラード基金. 2024年11月21日閲覧。
  6. ^ a b 「V4+日本」対話・協力”. 外務省 (2022年6月14日). 2024年11月21日閲覧。
  7. ^ 「自由と繁栄の弧」をつくる”. 外務省. 2024年11月21日閲覧。
  8. ^ 麻生内閣総理大臣の欧州における政策スピーチ「グローバルな課題を克服する日欧のパートナーシップ」”. 外務省. 2024年11月21日閲覧。
  9. ^ 第4回「V4+日本」外相会合(概要)”. 外務省 (2011年6月6日). 2024年11月21日閲覧。
  10. ^ 「V4+日本」首脳会合(概要)”. 外務省 (2013年6月17日). 2024年11月21日閲覧。

外部リンク


ヴィシェグラード諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)

世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「ヴィシェグラード諸国」の解説

ヴィシェグラード・グループとも呼ばれるポーランドハンガリーチェコスロバキアの4カ国は、2009年GDPハンガリーは6.3%減、チェコ4.3%減、スロバキア5.4%減となり、ポーランドEU加盟国唯一のプラス成長2.1%増となったヴィシェグラードの中で最も被害大きかったのはハンガリーだった。2006年選挙与党社会党虚偽報告によって勝利したことで政治混乱した影響もあり、2009年実質賃金3.6%減、失業率も7.6%以上でEUとIMFの支援を受ける結果となった。IMFの緊縮案を受け入れたことで社会党支持率は下がり、野党フィデス2010年の選挙多数派となった多数派となったフィデスは、市場経済EU理念相反する政策実施し、この結果ハンガリー政府EU対立深めていく。 ポーランドドナルド・トゥスク政権は、財政支出拡大などの政策危機対応した2008年11月から中小企業起業家への支援経済特区拡大などを開始し2009年から2010年にかけて910億ズウィティを支出し消費投資減少抑制した2009年には家計企業への支援最低賃金引き上げ労働時間柔軟化なども行いプラス成長維持成功したチェコスロバキアは、2010年にはGDP2.1%増と5.0%増の回復となった

※この「ヴィシェグラード諸国」の解説は、「世界金融危機 (2007年-2010年)」の解説の一部です。
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