南部アフリカ開発共同体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:21 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動南部アフリカ開発共同体(なんぶアフリカかいはつきょうどうたい、英:Southern African Development Community、略:SADC)は、南部アフリカ開発調整会議を改組し、1992年に設立された地域機関である。
概要
ボツワナの首都ハボローネに事務局を置き[1]、加盟国間の経済統合や域内安全保障を目指している。
2008年に東アフリカ共同体、東南部アフリカ市場共同体とともにアフリカ自由貿易地域を創設した(アフリカ大陸自由貿易協定とは別物[2])。
成立までの経緯
- 1975年、白人国家ローデシアやアパルトヘイト体制の南アフリカ共和国と対決するフロントライン諸国(FLS)がボツワナ、タンザニア、ザンビアによって結成され、タンザニアのジュリウス・ニエレレが議長を務め[3]、1979年のアルーシャの会議でローデシアや南アフリカ共和国からの経済的な自立を目指した南部アフリカ開発調整会議(SADCC)の設立が決定される[4]。
- 1980年、SADCCがザンビアのルサカで創設[4]。
- 1992年、共同市場を目指した南部アフリカ開発共同体(SADC)に改組。
- 1996年、地域の安全保障問題を討議する。
今後の予定
2010年までに関税同盟を確立、2018年までに共通通貨の導入を目指すとされる。
加盟国
現在、16カ国が加盟している。
関連項目
脚注
- ^ [1]
- ^ “African free trade zone is agreed”. BBC. 2018年3月21日閲覧。
- ^ Arnold, Guy (6 April 2010). The A to Z of the Non-Aligned Movement and Third World. Scarecrow Press. pp. 126–127. ISBN 9781461672319.
- ^ a b “HISTORY AND TREATY”. 南部アフリカ開発共同体. 2018年7月14日閲覧。
外部リンク
南部アフリカ開発共同体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/19 18:14 UTC 版)
「マラウイの国際関係」の記事における「南部アフリカ開発共同体」の解説
2001年、マラウイは南部アフリカ開発共同体(Southern African Development Community:SADC)の議長国に就任した。当時のマラウイ大統領であったムルジは、テロに反対する世界的連帯や、ジンバブエにおける土地改革問題などの諸懸案に関し、積極的な役割を果たした。
※この「南部アフリカ開発共同体」の解説は、「マラウイの国際関係」の解説の一部です。
「南部アフリカ開発共同体」を含む「マラウイの国際関係」の記事については、「マラウイの国際関係」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
国際機関 |
国際連合信託統治理事会 アジア・アフリカ法律諮問機関 南部アフリカ開発共同体 アジア開発銀行 ルワンダ国際刑事裁判所 |
軍事同盟 |
薩長同盟 反革命十字軍 南部アフリカ開発共同体 ハイルブロン同盟 中部アフリカ諸国経済共同体 |
- 南部アフリカ開発共同体のページへのリンク