難航する政権樹立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:21 UTC 版)
「2008年ジンバブエ大統領選挙」の記事における「難航する政権樹立」の解説
ムガベ側はMDCと対話する構えを見せたが、MDCは対話を拒否。南アフリカのタボ・ムベキ大統領が積極的に仲介に乗り出し、7月10日には南アフリカのプレトリアで与野党の協議が行われた。7月21日には、暴動の収拾を図るための与野党協力に向けた覚書がハラレで調印され、ムガベとツァンギライが握手を交わした。連立政権樹立に向けた調整は、両者に加えてMDC分派のアーサー・ムタンバラも参加して行われ、一時中断するなど紆余曲折があったものの、9月15日に与野党連立に合意する文書に調印した。ムガベは大統領に留まるが、ツァンギライが首相に就任し、閣僚は与党が15、野党が16となった。 しかし、ムガベは連立政権の主要ポストをZANU-PFの議員を指名。ツァンギライはこれに対して連立撤回を示唆し、連立は再び暗礁に乗り上げた。10月20日から、アフリカ諸国の首脳らによる連立に向けた特別会議がスワジランドの首都・ムババーネで開かれたが、ツァンギライは緊急渡航書類が19日午後に到着したことに抗議し、欠席した。11月20日に開かれた南部アフリカ開発共同体の緊急会合では、内相を分割するなどの妥協案が提案されたが、ツァンギライ側は拒否した。この間、ジンバブエ国内ではコレラが蔓延し、多くの死者を出している(詳細:2008年ジンバブエのコレラ発生)。 2009年1月26日、南部アフリカ開発共同体の緊急首脳会議が南アフリカのプレトリアで開かれ、ツァンギライが首相に就任することが決定した。2月11日、ツァンギライが首相に就任し、選挙から約1年の月日を要して連立政権が樹立した。
※この「難航する政権樹立」の解説は、「2008年ジンバブエ大統領選挙」の解説の一部です。
「難航する政権樹立」を含む「2008年ジンバブエ大統領選挙」の記事については、「2008年ジンバブエ大統領選挙」の概要を参照ください。
- 難航する政権樹立のページへのリンク