難航する交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 09:40 UTC 版)
9月25日から26日の間に英仏首脳は会談し、「フランスがチェコスロバキアとの同盟関係の上でナチス・ドイツに参戦した場合、イギリスはフランスを支援する」ことを確認した。チェンバレンはヒトラーに親書を送り、ヒトラーとベネシュの会談を仲介する考えを伝えた。しかしヒトラーは9月26日に少数民族の問題が解決すればチェコの領土に関心を持たない事を保証する、「我々は一人のチェコ人も欲しくはない」と声明し、ベネシュ大統領を激しく非難するのみで交渉を拒絶した。さらにヒトラーは9月27日、9月28日午後2時までに領土引き渡しが行われない場合、チェコに侵攻する意思を英仏に伝え、英仏がそれに対して介入を行うと警告しても「それでは我々は皆、来週には戦争に入るだろう!」と恫喝し交渉は暗礁に乗り上げた。 フランスのボネ外相と、チェコスロバキアのベネシュ大統領はアメリカの仲介を望んだが、孤立主義者に配慮したアメリカ政府からははかばかしい反応は返ってこなかった。一方でフランクリン・ルーズベルト大統領は、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相に仲介者となるよう要請する親書を送っている。またソビエト連邦はチェコスロバキアをフランスが軍事的に支援する場合にはソ連も支援を行うと言う声明を行っている。 イギリスの内閣ではチェンバレンがドイツにズデーテン地方を渡すべきだと唱え、外相ハリファックス伯やダフ・クーパー(英語版)海軍大臣は反対したものの、ヒトラーの人格を信頼するようになったチェンバレンは受け入れなかった。この間にイギリスの陸海空三軍の参謀総長は、戦争となった場合にチェコ防衛は不可能であり、陸と空においてドイツ軍が優勢になり、戦争は長期化が避けられないという見解を内閣に示している。
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