難航する遺産分割交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶は文化4年(1807年)7月、亡父の七回忌の法要に参列するために帰郷した。その際、弟との遺産分割交渉を行ったものの不調に終わった。口約束であるとはいえ遺産の均分相続に合意済みではあったものの、実際問題として長年故郷を離れた一茶と、継母と弟の努力もあって増やした財産を二分する話においそれと応じることは出来なかった。故郷では実家で過ごしたものの、遺産問題で対立する継母や弟と顔を突き合わせる生活が居心地が良いはずもない。 寝にくくても生まれ在所の草の花 ぎすぎすした実家の雰囲気ではあるが、やはり生まれ故郷以外に寄るべき場所がない一茶の辛さ、やるせなさとともに、故郷への思いを現した句である。 一茶は10月初旬に江戸の自宅へ戻ったが、自宅にはわずか数日居ただけで例によって下総方面に俳諧行脚の旅に出て、月末にはそのまま再び故郷へと向かい、11月初旬に弟との遺産分割の話し合いに臨んだ。しかしこの時の交渉もまた不調に終わった。不調に終わった交渉終了後、一茶は帰途、旧知の毛野(現・長野県飯綱町赤塩)の滝沢可候宅にて 心からしなの(信濃)の雪に降られけり と、降り続ける雪に己の憂鬱な思いを投影した句を詠んだ。
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